在外研修

重慶・中国活動報告
寺江圭一朗(美術家)

Gate 08 Chongqing

2018.03.17 @art space tetra

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はじめに

こんにちは。こういう風にトークをさせてもらえて光栄に思います。いつもトークをしてくださいとなると、話をするプロではないので、だいたい悩むんです。特に今回の場合はお金をいただいてトークするので、かなりプレッシャーがあって1ヶ月前くらいから色々考えたんですけど。ちょっと話がいきなり飛躍するんですが、例えば文字を書くことを考えてみてください。多分、小説家とかだと、何か分からないことがあるから書くんだと僕は思ったんです。もし全部分かったら書くことはない。なので話すことを考えた時に、分からないことがあるから話すんじゃないかなっていう風に考えました。今日はまだ考え中のこととか、まだ自分の中であまりはっきり言葉にできてない部分をなるべく話してみようかなと思います。ちょっと聴きづらいところとか、いきなり話が飛躍しすぎることがあると思うので、本当は岩本さんとかに(日本語に)翻訳してもらいたいんですけど(笑)

オルガンハウスでの個展について

最初に、何をやったかっていうのを振り返ります。2018年1月末に帰ってきたんですが、その直前に重慶のOrganhaus(オルガンハウス)で個展をしました。1年半の研修のまとめとなる展覧会をしました。(画像を見せながら)


会場入り口には、展覧会のイントロダクションとして、『イントロダクション』という映像を制作しました。中国の翻訳ソフトを使って僕が中国語を話すんですけど、例えばこれだったら「僕は寺江圭一朗です」って言ってるんですが、僕の間違った中国語の音声を翻訳しているので、何かよくわからない意味に変換されています。こういうのが何パターンかあります。

これは写真作品なんですが、一応この展覧会のタイトルは「壁の向こうに人がいる気がしてカーテンを閉めた」でした。それで、カーテンを写真の上にドローイングしたものを展示しています。向こう側が見えるような見えないような感じになるように、レースカーテンをイメージしたものを描きました。

2017年にkonya2023(福岡)で開催された「虹の天気図」という展覧会に参加したとき、ホームレスの人を取材した映像を出品しました。これは、そのホームレスの人に写真を撮ってもらったものです。2重露光になっていて、僕と彼で2回ずつ撮影しました。

これはレンガで壁を作っている作品『明日も神話』です。プログラムを使って何個もストーリーが分岐するように作っているので、簡単にお見せできません。なので今日はこの作品についてはあんまり触れるつもりはなくて、主にホームレスの作品について話します。

なぜ中国に行ったか/対象への近づき方

それでなんで中国に行ったかって話を。色々言えるんですけど、一番は重慶っていうのは、重慶爆撃があったりして日本とも関わりが深い場所だからです。それ以外に2011年に僕が作った韓国で「トイレ掃除をさせてください」って韓国語で尋ねて回る作品がありました。最終的にトイレ掃除をさせてもらって終わりっていう作品でした(『限られた言葉とトイレの捕獲』)。2011年のこういう活動から、他にも沖縄に行って沖縄の「君が代」を歌うことができない人にお願いして、覚えているところだけを歌ってもらうっていう作品を作りました。

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個展(Arcade/沖縄)2013年 「限られた言葉とトイレの捕獲」 左から沖縄、中国、韓国の映像。

ずっと続いている視点としては、韓国にしても沖縄にしてもそうだったんですが、どういう風に近づいていくかってことが僕のなかにずっとテーマとしてありました。例えば韓国で作品をつくる場合に、どうしても日本人という立場を消して作品を創ることは難しく感じました。その時には竹島のこととかいろんなことがあったりして、その中でも一緒に交流展を作っていくとか、どういう風に韓国の人と話ができるかっていうことを考えた時に、なるべく日本人である自分っていうものを使いながら韓国の人にどうやって近づいていくかっていうきっかけとして、この作品を考えたんですね。沖縄でも僕は日本人として沖縄に行くんですけども、どうしても特にこの時なんかは、意図しない観られ方をしてしまい、沖縄の人を差別していると観られ、かなり怒られました。この作品で。なので中国に行く時もどういう風に僕が中国で作品を作って良いんだろうかってことを最初にかなり悩みまして。そういうふうにどうやったら対象に近づけるかっていうのも僕のなかにずっとテーマとしてあります。なぜ中国に行ったかというとそういうことを改めて試すということも一つありました。

具体的に近づくためにどんなことを試したかっていうと、日本人である僕が中国でどうやって作品を作っていいかってことを最初のうちは全然分からなかったんですよ。例えば生活しているとテレビでは抗日のドラマとか流れているし、「日本人嫌いだ」っていう人も結構いたんですね。なのでその中で僕なんかがどうやって作品作るかっていうと結構難しいことだと感じていました。

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重慶展望台から

今、(スライドで)映しているのが重慶の街なんですけど、最初の半年ぐらいはあちこち回ってただ様子を見ているだけでした。これは山の上から撮った重慶の町並みです。結構街なんですよ。こういう何でもない中国のただの風景とか、人とかそういうのを見て観察して、ここでどうやって自分が作品を作っていいでしょうかっていうのを探っているところでした。この何でもないトンネルみたいになっているところも実は爆撃の時に使ってたとこだったらしくて、今は駅に行く道になっています。これは長江ですね。長江で泳いでいる人。

例えばどういう風に近づくかって時に、長江に泳いでいる人がいるんですよ。だけど、僕は長江で泳ぎたくない。なんでかっていうと、危ないし、汚いから。なんだけど、そんなことを言ってたら作品作っちゃいけないような気がして、近づくためには長江でも泳ぐぐらいになんないといけないのかなって思ったりしました。こういう風に街の風景とか見て、とりあえず写真を撮ったり映像撮ったりしてるんですけど、最初のうちはどういう場所なのかを触って確かめていたっていうか。これはあちこちで踊ったり歌ったりしている人がいっぱいいるんですね。このおじさんいいな。こういう人がたくさんいるんですね。こういう何気無い生活の中から何か作品にできないかなって最初は思っていて、人々とか街とかをよく見ていました。

ただ、なんとなく、例えば世界遺産とか一回行った時があって、オルガンハウスのイギリスから来ていたアーティスト達と一緒に行ったんですけど、そのイギリス人のアーティストが世界遺産にもなっている楽山大仏を見て「インスピレーションを得た」と言っていて。71メートルもあってとにかくすごいでかい、確かに迫力はあるんですけど。こういうようなものを見てインスピレーションを得て確かに作品を作れる可能性はあるんですが、なんとなくそれだとダメなような気がしたんです。もしこれでインスピレーションを得たとしても、中国と日本の関係とか、自分自身がどういうふうに近づいたかということにならないので。

特に最初に挙げた沖縄での経験から言うと、作品によって怒られるっていうか傷つけるようになる場合もあるということをそのときに知ったので、簡単に作品にしちゃいけないなっていうのがそれからずっとあってですね。なのでさっき見せていたような街の風景とか、ああいうおじさんを見て面白いなと思って作品を作っているようではいけないと改めて感じたんです。

王海川(ワン・ハイチュン)の活動について

なぜ中国かっていうのは、そういう風にどうやって近づいていけるかっていうことがしたいってことだったんですけど、もう一つの目的として王海川(ワン・ハイチュン)っていうアーティストのやってる活動を調べるということがありました。実際にこの人の活動は僕にすごく影響を与えたと思います。

彼がやったのは「銅元局(トンユエンジュ)」っていう再開発地域に入って、今10年くらい活動しているんですけど、中国が都市化が進んでいるから昔の建物を壊して、すごい高いビルとかどんどん作っているんですけど、その再開発の一箇所に指定されている地域です。ここで彼は地域住民の人にカメラを渡したり、美術を教えたりするような活動を10年くらい続けてて、そのことを調べるっていうのがもう一つの目的でした。

これは地域住民の人にカメラを渡して気になったものを撮ってもらっているような様子ですね。こういうのがあったりとか、ずっと一緒に関わっているので、地域住民の何人かは変わった人が生まれていて、拾ってきたものを部屋の中に集め始めたりし始めました。僕は最初、こういう地域アートみたいになっている状況自体がワンさんのやりたいことかなと思ったんですけど話を聞くと、この活動自体は、ワンさんの作品じゃなくてワンさんはこういう関わりの中から自分の表現につながるようなものを探しているっていう立ち位置なんですよ。なので、実際のワンさんの作品は例えば銅元局で拾ってきたものを組み合わせて構造体をつくったりしています。これはワンさんの話によると教会をイメージしたもので、こっちは懺悔室とか言ってましたね。こういう手法自体も、銅元局の地域住民の人との関わりの中である人が自分の家の庭にたくさん物を集めて同じような形で同じようなものを作っている人がいるんです。そういう人の表現の方法を借りながらワンさんは自分の作品を作っていくという活動です。それ以外に、これはワンさんのアトリエなんですけど、写真作品が結構多くてですね。銅元局の家っていうのは多分四畳半くらいの正方形のサイズだったんですけど、みんな同じようなサイズの家に住んでいます。それぞれの生活が比較ができるように、家の記録を撮っているものです。壊されていく家なので、それを記録するという意味もあるし、彼が言うには今現在の中国の社会と昔の集団生活をしている生活って変わってきてるんですけど、変わってきている生活をこの四畳半の部屋をものすごく解像度の高い写真で撮ることで記録している。この写真も話を聞くと、ちっちゃい写真を何個も組み合わせて、それを10枚くらい組み合わせて細部まで見れるように拡大するという作品なんですね。

王さんのプロジェクトを見ていた時期に見つけたのが七星岩(チーシンガン)という地域でした。
七星岩もワンさんが取り組んでいる地域と同じように取り壊しが決定している再開発地域です。これ今映っているのは多分防空壕です。こういうのが重慶にはたくさんあるっていうのが分かって。古い家には「まだ住んでいる 壊さないで」って書いてある。こういう古い地域に行くとなんでこんなことになってんだろうっていう建物結構あるんですよ。これとか家から木が生えてきてたりとか。これとかやばくないですか、雨が当たるとショートするんで適当に波板を上に置いてるんです。結構面白いことになってるんです。よく見るとすごい建物がたくさんあるんです。あちこちもう家が壊され始めていて、こういう風にもう人も移動し始めているし、家も壊され始めているという状況でした。これも窓が土砂で埋まってます。これトイレです。

さっきからずっと言っているようなどういう風に人々に近づいていけるのだろうかってことをこの時もずっと探っているんですけど、全然わからなかったんですね。壊されている街があって確かに建物が面白いのがいっぱいあるし、情報として色々社会的な問題もあるし、この地域をそのまま扱うのも確かにできたんですけど。

ここの調査をしている時、この七星岩で旅館を営んでいる人がいて、しょっちゅう行ってお世話になってました。とにかく作品作りたかったけど、なかなか方向が見つからない、どうしようかなって時に七星岩があるって知って、とりあえず行って彼の所に泊まらせてもらうようになったんですけど。面白い街だけど僕が伝える自信がないという感じになってました。この段階では。こういうふうにその街を見て回っていたら、ホームレスのいた形跡があったんですよ。この辺に電線がいっぱい落ちてて、電線を拾ってそれを多分売ってたんですよね。ここを使っていた人に僕は会いたかったんですよ。それでしょっちゅう通ったんですが、この人には会えなかった。

この旅館が、僕が行くようになったあとぐらいから、時々若い人が集まって展覧会や音楽のイベントをする場所になったのですが、こういうことをこういう場所でやるとだいたい警察の人が来ます。
つまりですね、さっきの王海川もそうだけど、若い人もこういうふうに都市化が行われそうになっている場所っていうのは結構表現の素材にしれているということなんです。ワンさんも取り壊されるところを扱っているし、他にも似たような場所を扱っている人はいました。こういう場所が展覧会に使われることは増えているのだと思います。

これは壊しているんですが、壊したら家のレンガが出るんです。全部レンガでできてるんで。そのレンガを使ってまた壁を作ってるんです。僕はこれも面白いなと思って。そのあとレンガの作品のアイデアとなりました。今日はちょっと見せれないですけど、レンガの作品は七星岩で見た業者の人がやってる方法で壁を組んでいきました。地面にセメントを置いて混ぜる方法とかも七星岩で見て覚えました。これはさっき言った、壊された家の壁でもう一回家のレンガで壁ができたっていうところですね。これは壁を作る作業場面です。

ホームレスとの時間/当事者・第三者・言葉

その後、ここで別のホームレスを見つけて、その人と僕はお話をするようになったっていう流れでした。最後はすごく仲良くなったんですけど、どういう風に近づくかって考えた時に、僕は最後まで例えば日本の戦争の反省とか、そういうことをテーマに作品にできなかったんですよ。っていうのもどういう風に中国に近づくかっていうのが難しかったので。彼は中国の社会の中で取り残されていて、ホームレスをやっているんです。彼も一人だし僕も一人みたいな感じで、だから話ができたんだと思います。彼との出会いがあって、なんか急に近づけるかもしれないって気持ちになって。彼本人に近づくってことですけど、しょっちゅう行くようになりました。彼の住んでるところに。
(作品映像を流す)
とにかく、言葉が僕は分からないんですね。ほとんど。わからないところは(字幕が)ぐしゃぐしゃってなってますけど(注・寺江が理解不能な中国語には、手描きの意味不明な字幕を載せている)、これはもう最後の方、帰る直前に一緒に将棋をやったところなんですけど。分からないながら、彼と一緒に話をするということが徐々にできるようになっていきました。中国語が上手にできるかどうかってことじゃなくて、一応伝わってる。これはどういうふうに駒を動かすかって話を中心にしているんですけど、とにかくできるようになったんですよ。

どういう風に近づくかっていうことに寄せて話をします。
まず話を飛躍させますと、何かに近づくっていうことが僕にとっては美術の一つの在り方なのかなぁと。それは僕に限らずですね。例えば美術史の中のある憧れの対象に自分が近づくっていう方向もあるだろうし、僕みたいに社会的なものを扱おうとした時にある対象にどのように近づいていくかっていうのもあると思います。だけどどうしても僕の場合は失敗してしまう。なかなか近づけない。なのでいつも人を傷つけてしまうような気持ちになってしまう。っていうのがなんとなく僕が感じていることなんです。

第三者みたいなものとして、こういう作品を見てそこからどういう風に私や他者に近づけるのかということをずっとやっている気がしてます。韓国の作品の時から。なかなか第三者のような立ち位置から当事者みたいなところに行けないんですけど、その時の問題点の一つとして僕は言語っていうのをずっと考えています。作品にはなかなか現れていないんですけど。

この時も僕は中国語が喋れない、彼は中国語しか喋れない。そして教育も受けていないので、こういう文字も僕が書いたんです。彼が書けないから。他の中国人の人よりもコミュニケーションが難しいと思います。だけれど、中国語、言語を使って彼とコミュニケーションしています。この時に僕がやりたかったのは、言語に問題がありながら近づいていくんですけど、明らかに母国語同士でなく、言葉も不完全なのですが、二人の会話の中にそういうことと別の「言葉の使い方」みたいなのが生まれてきた時にやっと近づいたと思う。なんか違う言葉を発明した時にやっと「よっしゃ!」みたいな感じになれるのかなと。それをずっと気にかけてやっている感じがします。

実際には彼と話をしていて分からないことが多いんです。本当は。ほとんど「?」で(字幕を)書いてるでしょ。ほとんどわかってないんです、僕。実は。けど話は一応できているんです。だから多分普通の言葉の使い方じゃないもので実際に話せていて。当然、中国語は分かるものもあるんですよ、一応一年半もいたんで。この二人の関係っていうのは、さっき言ったような意味で別の言葉の使い方をしていたんじゃないかなと思います。

ワンさんが銅元局の住人にカメラを渡していたのを真似して、彼にカメラを渡して試したりしてました。それと、この回はですね、僕が結構出てると思うんですけど、後半ぐらいからいつも彼にカメラを向けていることがちょっと違うような気がして。「いつも僕が君にカメラを向けているから、それは平等じゃないんで今日は僕を撮ってください」、みたいなのを試してみたりとか。このときは長江に行ってみようとか言って、多分この時一緒に泳ぎたかったんだと思うんです。

どういう風に近づいたらいいか分からないんだけど、どうにかして近づこうとしていて、これが始まりました。だけど基本的には撮り初めっていうのはこれが作品になるとか作品にしようっていうのが全くなくて、最後の最後までこれが作品で良いのかっていう気持ちで実は取り組んでいました。

長江へ行ったときの映像です。僕は彼に長江は世界で一番長い、世界でかなり有名な川だって言ってるんですけど、彼は勉強してないんで「それは違うんじゃないか」と。僕が長江は一番長いんだよって言ってるんですけど「違う」って。だったら携帯で調べてみてと言うから、調べると当然長江が何位だよっていうふうに出る。そういうシーンです。

本当はまだいくつかエピソードはあるんですけど、まだちょっと編集できてません。なので前回紺屋で展示したものと、今見せたのが最新のやつです。

パンダ(の画像)とか見てみますか?こういうくだらない話の方がやりやすいんだよなぁ(笑)これは重慶動物園です。パンダっていっぱいいるんですよ。パンダってどう思うって彼に聞くじゃないですか。ただのクマだから全然興味ないって。

唯一ずっと続けてたのは、なんでか分かんないけど、食事をずっと撮ってたんですよ。毎日毎食。せっかく滞在させてもらって、何か一つ日記とか書いたらいいんじゃないとか言われて。これはたい焼きですね。こういう風にずっと撮ってました。毎日三食。やめられなくなってしまいましたね。どうやってやめていいか分からなくて未だに続けてます。別に作品ってわけじゃないんですけど。

あとは、最初のころにご飯食べなきゃいけないんで、ご飯を頼む時のお店のメニューね。どういう風に読めばいいか分からないじゃないですか。どんなものかっていうのはなんとなく想像できるんですけど、だから写真に撮って読み方を勉強して頼むってことを最初の頃はしてましたね。

最初の頃は、近づくっていう意味でどういう風に近づいたらいいんだろうって、犬と友達になろうとしたんですよ。全然中国語も分からなかったし、英語も分からなかったので、何が起こっているか全然分からなかったんです。唯一犬とか猫なら分かる気がしたので犬で作品作ろうとしたんですよ。野良犬なんですけど、こいつも言葉分からないし。こういうすごくつまらない失敗をたくさんやっているんですけど、こういうことを含めてどういう風に対象に近づくか、っていうのが僕は作品を作る時の必要不可欠な作法のようなものなのかなって思いました。この時も最初はやたら言葉について考えてました。

最後に、ホームレスの人に撮ってもらった写真を見せます。この時は何か一緒に作りたかったんですね。何か一緒にしたいっていうのがあって。彼が撮ったあと僕が撮った、二重露光になってます。フィルムなんですけど。これは彼が住んでいるところから見える景色です。

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これは僕を撮ってくれたんですけど、生まれて初めて撮った写真だと。そういわれるとすごく嬉しいですね。今もカメラは渡してるんで、ずっと撮ってるかもしれません。

(また別の写真作品をみせながら)これはワンさんの写真の撮り方を真似して自分で撮ったものです。100枚くらいの写真を組み合わせているので、ゴミのパッケージの文字とかまで細かく見えます。

質疑応答

Q:作り方について。具体的にホームレスの方と作品を作るときにどういうふうに「僕はこんな作品が作りたい」みたいな話をするのですか?

寺江:この時はいろいろ提案してました。そもそも言葉が喋れないので、「今日はどっか行こう」というような簡単なことだけしか言えないから、具体的な行動するものとかがあると、コミュニケーションが格段に変わってくるんです。例えば椅子を一緒に作るっていう回があるんですけど、そのときは僕があそこに行ったときに座る場所が欲しいなと思ったんですよ。それで椅子一緒に作ろうって。この辺にはたくさん壊れてる建物がいっぱいあるからそういうところに行って、材料を一緒に探しに行こうとか、具体的に言ってましたね。そうすると彼は自分で物を持ってきてこうやったら椅子ができそうとか言っていたし。

Q:彼はそれをアートと思ってやってるのですか?

寺江:僕が美術をやっているっていうのは説明していましたし、作品を作るためにビデオ撮ってるってことは一番最初にお願いして撮影し始めてました。一応それが美術なんだろうってことは分かっているんですけど、具体的にじゃあそれがなんて美術なのかは分からないと思います。僕が一番最初に彼に興味持ったのは、話をし始めた時に「人間にとって何が一番大事だと思う」って話を振ったら彼が「お金と文化だ」って言ったんです。両方ともなさそうな人ですが。実際に僕が最初撮影させてもらうってことはちょっとでもお金を渡さなきゃいけないかなと思ってたけど、それもいらないっていうし、何回か通った時に僕は毎回パンと水を買って行ってたんですけど、何回目ぐらいかにゴミ箱から拾った5元ぐらいのお金を僕にくれようとして、「これでなんか買ってきな」って。さすがに断りましたけど、それぐらいお金は彼の生活にとっていらないものになっているんですよ。ご飯は取りにいったら食べられるし、そのほかのことに使うこともない。だけどそういう彼がお金が必要だって言ったのと、「文化」と言ったのですごく興味を持って、そこから結構密に通うようになりました。

Q:また中国に行きますか?

寺江:行きたいですね。会いに行きたい。最後の方に行ったときに、彼が住んでいるところを片付けてたんですよ。どうしたのって聞いたら、「役所の人が5人ぐらい来た。今年から住んだらいけないって言われた」って。「どっか行くの」って聞いたら「分からない」と。「僕が次もしきた時にここにいないかもしれないの」って聞いたら「待ってる」って言ってくれた。そしたら行かなきゃいけないなといつも考えています。携帯ないので連絡も取れないし「待ってる」って言うんで、直接行くしかないですよね。いつ来るか分からないのに。

テープ起こし 古賀昌美

スピーカープロフィール

寺江圭一朗(美術家)
1981年 広島生まれ
2005年 大分大学大学院教育学研究科
2015年「第13回リヨンビエンナーレ ランデブー15」、institut d’art contemporain、リヨン(フランス)
2016年「OPEN STUDIO」、+100P、福岡
2017年「10元プロジェクト」、LP art space、重慶(中国)
2018年「Local Prospects4 -この隔たりを-」、三菱地所アルティアム、福岡
2018年「途中鏡子」GCA美術館、重慶(中国)
http://www.terae.info/