海外研修

重慶・中国活動計画
寺江圭一朗(美術家)

Gate 02 Chongqing

2016.07.09 @唐人町寺子屋 とらきつね

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はじめに。自己紹介

原田(AAAF):最初は美術家の寺江圭一朗さんですね、こちらメガネをかけて座ってらっしゃる。寺江圭一朗さんから中国の話を伺いたいと思います。聞き手は、AAAFメンバーの牧園です。

まず寺江さんの紹介をさせてください。1981年広島生まれ、共同アトリエ3号倉庫のレジデンスプログラムをきっかけに福岡を拠点に制作活動をされています。アトリエ兼多目的スペース、+100Pはまだ運営されていますか?

寺江:はい。

原田(AAAF):そうなのですね。2014年には福岡県立美術館で開催された、「とっとっと? きおく×キロク=」展に参加されています。出品されていた映像作品を見られた方も多くいらっしゃるのではないかなと思います。その後、リヨン・ビエンナーレにも参加されています。
今回は8月から文化庁の研修制度、そしてポーラ美術振興財団の研修助成を利用して、中国の重慶に1年半調査研究に行かれるということです。一旦、リサーチをしていま一時帰国されるということですよね。そしてまた8月から行かれるということで。

寺江:8月からスタート。

原田(AAAF):ではなぜ重慶だったのか、またこれからのプランなど、そういったところを伺っていきたいと思います。では宜しくお願いします。

牧園:こんにちは、牧園と言います。この度gate02を開催するにあたって、先ほど原田さんの方からも紹介があったんですが、寺江さんが中国の重慶で1年半活動することになったということで、話を聞いてみたいな、ということで依頼しました。そしたら寺江さんが、「牧園くんと喋るんだったらいいよ」ということだったので、僕もここにいる次第です。じゃあまず寺江さん、自己紹介お願いします。

寺江:はい、寺江と言います。何を喋ったらいいんでしょう。

牧園:どんな作品作ってるのかっていうのを。

寺江:作品はですね、最近は映像作品を作ることが多いんですけど、あんまりどういうタイプの作品作るかっていうのはそんなにこだわりはなくて、絵でも彫刻でも、その時に必要な方法とかで作品の形態も毎回変わることが多いです。

重慶で活動しようと思った経緯

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牧園: わかりました。2016年8月、来月から1年半重慶に行かれるということで、概要なんですが(スライドを見ながら)研修先が中国の重慶、受け入れ先が「??」になっているんですが。

寺江:受け入れ先は、一応書類上はオルガンハウスっていうのがあって、そこになってはいますが、実際は自分で全部やらなきゃいけないので、書類上だけオルガンハウスになってます。

牧園: なるほどですね。今回、自費で行くわけではなくて助成を二つ組み合わせる形で行かれますよね。で僕が聞くっていう風になった時に、すいません参加してる人とかは興味なかったりしたら恐縮なんですが、やはり結構お金がしっかり出るということで生活の心配は1年半しなくていいっていうことで、羨ましいなってところですね。

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(スライドを見ながら)この4つの軸に沿って聞いていけたらなと思います。
今2016年の8月なんですが、2015年までに事前準備を色々されてきたと思うんですね、そのプロセス。それと採択が決って、実際にプランを実行するにあたりどんな風に進めてきたのかという部分、また帰国後2018年4月に日本に戻ってきて、どういう展望があるのかっていうのを聞ければと思います。で、あれなんですけど、7月に結婚されたということで、おめでとうございます。

(会場拍手)

激動の2016年ですね。まず一番目、事前準備のところですね。何回も聞いているところだと思うんですが、そもそもなぜ海外に研修したいと思ったのかというところなんですが、前言ってたのは「逃げたいから」みたいなことをおっしゃってたと思うんですね。

寺江:そうですね、あんまり僕はどっかへ出かけるとか苦手なんですけど、別に海外じゃなくてもどこでもよくて、逃げたいって言ってたのは仕事とか全部やめてやりてぇって思って。そういう理由が一番です。何もきっかけがなくて。福岡に来てから10年くらい経ってるんですけど、ずっとそれまで非常勤講師で小学校とか中学校とか高校とか行ってて、それだけでも食べていけれないんで色々バイトしたりして、展覧会するたびになんかもう全然お金ないし、やっていけねーな、みたいな感じで暗い気持ちになっていたんで、いっその事全部やめてどっか逃げたいみたいな。そういうので言ってたと思います。その時は。

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牧園:これはポーラ美術振興財団の若手芸術家在外研修助成採択者一覧の一部なんですが、他の国の人がまぁ、アメリカとかドイツとか、そういう中で寺江さんは中国に決めましたね。
プランとして、「重慶の歴史、現在の問題に関するモチーフの調査および作品制作。非言語コミュニケーションを通したコラボレーションの方法思案。」というようなことが書かれているんですが、日々お金がないとか苦しいとか逃げたいとかいううようなところからこのプランを出して行ったんだと思うんですけど。

寺江:そうですね。

牧園:単純に他の人が西洋圏が多い中、なぜ寺江さんは中国なのかっていうところを聞けたらなと思いますが、それはまぁ、おいおい。
去年の8月に研修の申請がありましたよね。僕も実は80日間のやつ受けてて、僕もすごく分かるんですけど、これって結構めんどくさいというか、大変なんですよね。これが申請用紙なんですよ。いっぱい書かなきゃいけなくて、何を書くのか把握するだけでも大変、、、「一服した後にしよう」とか。それに応募用紙だったり、推薦書も書いてもらわなきゃいけないし、受け入れ先もみつけないといけない。寺江さんって英語とか喋れないじゃないですか。どうやってそのコミュニケーションをとったりだとか、今までの活動を非言語コミュニケーションだとかに集約して行ったんですか?

寺江:場所が中国になったのは僕が行きたいからではなくて、この文化庁の8月の申請をしないとダメだよっていうふうに知人に言われて、僕は全然出すつもりなかったんですけど、そういうふうに言ってくれる人がいたので、じゃあちょっと出してみようかなって思って。その方が中国の人と知り合いだったのでそういう流れで、書類とかは英語が話せなくても取り寄せる事ができたということはあります。あと、確か締め切りの10日前くらいにそれ言われて。

牧園:締め切りが確か8月の中頃だったと思うんですが。

寺江:もうちょっと前だったかな、短い期間だったのでとにかく書類を揃えるってことだけで精一杯だったから、いろんな人に力を借りながら、やったということですね。
プランの部分で非言語コミュニケーションっていうのを入れてるんですけど、それは書類の中に英語がどれくらい喋れるとか、僕だったら中国なんで中国語がどれくらい喋れるか、みたいなチェックするところがあるんですよね。「すごくできる・できる・できない」と、いろいろあって、僕はどれも基本的に自信がないので、できないし、その時点で全く準備もしてなかったので。喋れなくても大丈夫なプランとして、一応考えたつもりではありました。
喋れないからこそできる作品っていうのはきっとあると思うので。
中国は、僕は個人的に今までずっと行きたかったとかそういうことではないんですけど、さっきの牧園くんが見せてくれてたポーラのやつとかほとんどの人がヨーロッパとかアメリカで、だから僕は中国でよかったなと、それを見て特に、改めてその時思ったんですけど。僕なんかがヨーロッパとか人気のあるところへ行ってもしょうがないという感じがするんで、みんなにあんまり人気がないところに僕が行って、僕ができることをやってくる方がいいのかなというふうの思うので、中国でよかったなというのと。あと、行ってみたり申請する時に色々調べたりする中で重慶のことを知ると、すごく面白いと思ったし、これから行ってどうなるかわからないんですけど。

重慶での事前リサーチ

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重慶市 – Wikipediaより

牧園: 重慶は北海道くらいの大きさと聞きました、大きいですね。で、こんな街並。気温も43度とかまで熱くなったり。大学もめちゃくちゃいっぱいあって、美大もあるし、あと火鍋?(スライドを見ながら)すいません、全部ウィキペディアなんですけど。で日本との関係でいうと、モノレールを日本の会社が受注したり、、、

寺江:とにかくすごい街でした。ビザを取る関係で1回行ったんですけど

牧園:蒋介石が逃げたみたいな、それで日本が爆撃いっぱいした。。。誰が言ってるのかわかんないですけど、広島、長崎への原爆投下の正当性の根拠として利用されたとか、、あと現在は寺江さんの故郷である広島との友好都市なんですよね。

寺江:そうなんですよ、あとから知ったけど。なんか縁があるという感じがしました。

牧園:5月に寺江さんが事前リサーチということで重慶に行ったようです。

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寺江:これ火鍋ですね。あそこのオレンジ色とか黄色とか赤のボールみたいなのがクルクル回ってるんですよ、回転寿司みたいに。器がクルクル回ってて、その中に串が入ってて、手前の机の上に電気コンロみたいなのがあって、そこで自分で勝手に取って食べるというやつでした。火鍋の屋台。

(会場から):料金はどうやって計算するの?

寺江:料金は串を数えてました。焼き鳥みたいに。高そうなやつは二本とか刺さってて、串の数でやってました。
重慶で何やってくるかっていう話なんですけど、幾つかプランを出してるんですが、助成金を取る時に。それは作品を作ることとか、交流するとか、重慶の歴史を調べるとか、そういう色々書いてはいるんですが、実際に行ってみたら見えてくることがあると思うし、中国語も英語も弱いので、そんな中で人と無理やり関わっていった時に何が起こるかっていうのはもう自分ではコントロールできないところだから、そういうのを実際に行って感じながらプランを新たに作っていけたらなと思うので。ほとんど何もない、行って考えるって感じです。

牧園:事前リサーチで実際に行ってみて見えてきたものってありましたか?

寺江:うん、思いました。それは、いろんなもの見させてもらったんですけど、やっぱり喋れないっていうのが僕の中で大きくて。。。

再開発エリア「銅元局」とワンさん

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牧園:ここはどんな集落なんですか?

寺江:銅元局って言ってここのことを調べるってことで僕はプランを出してるんですけど、再開発のエリアになってて、もう取り壊しが決まっているエリアですね。
ここの畑とかも銅元局っていうところに住んでる人の畑なんですけど、だからもう大分移住が進んでて、家とかも住んでたり住んでなかったりするようなところがある、というところですね。
ここはなんで僕がプランの中に入れてるかっていうと、ワンさん(王海川/ワン・ハイチュン)っていう、オルガンハウスのメンバーらしいんですけど、そのワンさんっていう人がここで10年間くらい地域住民の人にカメラを渡して、「好きに撮って」みたいな感じで、写真展を時々やるようなプロジェクトをやってて、この人とかは普通の地域住民なんですけど、家の前に拾ってくるらしいんですね。でこれをこう並べて作品にするらしいんですよ。中国語で一生懸命作品の説明とかしてました。
そのワンさんって人は日本語もしゃべれる人で、だから少しコミュニケーション出来たから色々わかるんですが、、、
この人は同じ地域に住んでるけど違う人で、この人も確か、ものを拾ってくる系の人。とにかくたくさん部屋があるんですけど、色々な人が出ちゃってて、空き家になってるところがたくさんあるんで、勝手に部屋に入って自分で展示したりしてるんですね。

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寺江:これがその部屋らしいですけど。同じ人なんですけど4部屋か5部屋くらい展示してるって言ってました。これが写真展の残りみたいな。地域の人にカメラを、写ルンです的なやつを渡して、時々ワンさんがカメラを回収しに行って代わりのカメラとかフィルムとかを渡して、現像してるみたいですね。

牧園:ここに写ってるものって、結構人がいなくなっちゃったりとかそういう様子が地域の人たちの目によって撮られてるみたいな。

寺江:そういう風に撮ってる人もいると思うし、自分が好きな、興味があるものを単純に撮ってる人もいると思うし、家族を撮ってたり、大切なものを撮ってたりとか、色々だと思う。

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牧園:これはなんですか?なんかいっぱい、、、

寺江:これは、いろんなものを持ってきて、自分の部屋に飾ってるっていう。拾ってきたものっぽいんだけど。この人は凄いんですよ、5部屋くらいこんな感じの部屋を作ってるって言ってました。何部屋か見させてもらいました。

重慶のアートスペース

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牧園:重慶にはこういう美術館みたいなのもあるんですか?

寺江:あるみたいですね。ここはお金持ちの企業かなんかが出資しているとこだって言ってましたけど。立派な展示してました。ここも写真展だったけど。

牧園:重慶のアーティストが展示を?

寺江:重慶のアーティストだけじゃなくていろんな国でした。

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寺江:ここがオルガンハウス。

牧園:日本語みたいなのがいっぱい、、、

寺江:漢字ですね。でも「あ」とかあったり。
これはでもなんか多分、、なんか作品についての話全然しなかったな。なんかギャラリーSOAPでこういうのやってた気がするけど、オルガンハウスの展示。同じ人だと思う。

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寺江:これはなんか食べれるとか言ってましたけど。中に砂糖かなんか入ってて、誰も食べてなかった。

牧園:寺江さんは食べました?

寺江:食べなかったね。

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牧園:この人はアーティストですか??

寺江:この人はなんか、英語がペラペラな人でした。いろいろお世話してくれようとしてるんですけど、僕があまりに喋れないもんだから、途中からなんか無視みたいな感じ。

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これはなんかアーティストの人のアトリエに行ったら「ご飯食べて行きなー」みたいになって、その時のごはん、それとアトリエの様子。

重慶での活動プラン

牧園:じゃあそういう事前リサーチを経て、何するんですかって聞いたら、遣唐使がどうとかこうとかって言ってましたね?

寺江:それは入ってから何するのかっていうのは考えようと思ってるんですけど、喋れないっていうのが大きいし、さすがに1年半も行っているんで少しずつ言葉でのコミュニケーションもできるようになっていくと思うんですけど。喋れないうちに何ができるかなっていうのが申請上のプランにもなってるし。わかんないですけど遣唐使についてなんかね、思い浮かべてしまいました。こないだ行った時は。
だって昔の人で多分頭良かったけど、空海とかあらかじめ中国語喋れたのかもしれないし。喋れなくても文字でやり取りできたと思うんで、僕なんかよりも全然違うと思うんですけど。それでも全然何言ってるのかわからないようなエリアに入って行って、その人たちとどうにかこうにかコミュニケーションしてなんか持って帰るっていう仕事だと思うんで、せっかく中国だし僕も喋れずに何が何だかわからない感じで入って行くんで、当時の人たちはどんな感じだったのかなっていう風に思いを馳せつつ、その中でプランを考えていければというのがあります。
あと歴史的なモチーフを作品にしますみたいなことでプランに出してるんですけど、それはすごく難しそうで、中国でそれを思いっきりやろうと思うと。
歴史とか、一応三峡ダムをプランに入れてるんですけど、それはビザ取る時とかに何するんですかとか聞かれるらしいんですけど、そういうの本当のこと言っちゃうと多分入れないって言われたりとかあったんで、なのでちょっと最初にイメージしてたプランは実現できるかどうか、わからないなって。
さっきの銅元局のプロジェクトも多分僕が一人で入ると難しいエリアなんで。

牧園:まずはビザを取るのが難しいみたいですね。

寺江:難しいですね。

牧園:まだ取れてないんですか?

寺江:はい。

牧園:それを取るために、いろいろ今工夫されてるんですね。

寺江:そうですね。

牧園:もう一ヶ月切りましたもんね。

寺江:はい。どうなるんでしょう。

帰国後について

牧園:2018年の4月に帰ってくると思うんですけど、今2016年だから1年半。1年半って言ったらいろいろ変わってると思うんですけど、日本と寺江さん自身も。そのあとはどう、福岡にまた戻ってきますか?

寺江:福岡、一応今建ててるアトリエがまだ維持されてる感じになっているので、アトリエはきっと福岡にあると思うんですけど、福岡には多分住むことはないかなという。

牧園:じゃあ関東とかそういったところを拠点にしながら、アトリエがある福岡にたまに戻ってくるみたいな。

寺江:っていう形にもしかしたらなるかもしれない。まだなんとも言えないです。

牧園:ありがとうございました。

質疑応答

Q:ビザはまだ取ってないんですか?

寺江:はい。ビザはすごく難しくて。もうだいぶ前から取り組んでるんですけど。4月くらいからやってて、なかなかアーティストビザみたいなのが中国にはなくて、それがなかなか難しいのと、一応文化交流を目的としたビザもあるんですけど、それだと30日〜90日間しか行けないっていうのがあって。長期のビザじゃないと文化庁のは途中で帰国しちゃいけないってルールになってるんで1年以上のビザを取らなきゃいけないんですけど、それだと学生ビザか就労ビザどっちかしかなくて。なので僕だったら大学に入るって選択肢しかなくて、それの結果が昨日くらいに一応届いてたんですけど。
中国は9月スタートなので、そういうのもあって結果が遅れたり、なので今から領事館に申請一応するんですけど、それでも僕が思ってるようなビザが取れるかっていうのはまだこれから、領事館の判断になるので。とても難しいみたいですね。
観光ビザで行くっていうのも考えてたんですけど、30日60日90日だったから。それも最大の90日は今はほぼ取れないって言われたりしたんで。今日本人が入るのが難しくなってるのかなって感じですね。
ビザについて、アトリエに今韓国の人が入ってくれたんですけど、韓国籍の人が中国はすごく簡単にいけるよって言ってて。聞いたら韓国の人は観光ビザが1年まであるとか、国交の問題とかで。台湾は日本人行きやすいけど韓国の人は行きにくいとかなんかそういう話とか言ってたんで。そういうのもあって。

Q:帰国した時にまた福岡に戻ってきて住むというのはあんまり考えてないということだったんですが、その理由が知りたいです。

寺江:本当は(福岡を)拠点にしたいと、ずっと住みたい場所なんですけど、生活の拠点が関東に移る可能性があるっていうだけですね。だから制作とか発表とかは福岡でできれば続けていきたいという気持ちはあるんですけど。

Q:福岡は発展がないからっていうのは、、

寺江:全然ないです。むしろ福岡に居たいみたいな感じなんですけど。

Q:オルガンハウスは中国人以外の人が来たりはしてないんですか?

寺江:来てるみたいですけどね。

Q:その人たちは長く滞在してるんですか?

寺江:その人たちはだいたい観光ビザできてるみたいですね。なので3カ月くらいが最大かなと思います。
僕は一応オルガンハウスが派遣先っていう風になってるんですけど、実際には派遣先って言っても何かこういろいろお世話してもらったりとか、1年半ずっとしてもらうわけにはいかない感じなんで、最初の何カ月間かちょっとこう、、、他のスペースとか他のアーティストとかを紹介してもらうとかそういうやりとりはあると思うんですけどずっといるわけじゃないんで。なので1年以上の受け入れっていうのは今までやってこられてないんじゃないかなと思います。

Q:大学は通ったんですか?

寺江:大学は通ったっていうか、お金払ったらいけるような感じです。語学クラスとスタジオプログラム、ビザの申請上はそういう感じになってます。

Q:大学は中退するの?

寺江:スタジオプログラムみたいなのがあって、だけど、大学生として扱われるのかはわからないですけど、大学のアトリエと授業をお金払って使っていいですよみたいなプログラムがあって、それはいける感じに今はなったので、それです。1年契約みたいな感じなんで、学位をとるためのコースに行くわけではないという感じです。

Q:開発エリアでの活動の見通しは?

寺江:それはできると思います。最初にプランで出してたのはワンさんっていう人がやってる銅元局の10年間くらい続いてるプロジェクトの視察ということで一応書いていて、それはワンさんは続けてますので、それについてお手伝いするということは、恐らくできるだろうなってことで、そういう部分の報告とかはできると思います。
難しいところは、三峡ダムとか歴史的なモチーフをどういう風に作品プランに加えていくかっていうところはすぐには加えていけないっていうのはあるので、滞在の際後半でそういう部分が実現できたらいいなっていう風には思ってます。

Q:三峡ダムは重慶と近いんですか?

寺江:近いみたいですね、僕はちゃんと地図見てないんでわからないんですけど。一応三峡ダム関連の博物館も重慶市にあって、見たので。
ワンさんの手法とかは僕はそれでいいなと思ったのは、すごく教育的なアプローチなので、あんまり目を付けられにくいんだと思うんですね。だから中国で結構自由にできていると思うんですけど、そういった方法とかを少し見させてもらって三峡ダムじゃないにしても、そういうものに応用できたらいいなと考えていました。
でも行ってみないとわからないところもあります。そこは。

テープ起こし 玉井静穂

スピーカープロフィール

寺江圭一朗(美術家)
1981年広島生まれ。2005年より共同アトリエ3号倉庫でのレジデンスプログラムをきっかけに福岡を拠点に制作活動をする。2013年、アトリエ兼多目的スペースとして+100P(ぷらすひゃくぴー)を設立。以降ひっそりと運営中。2015年リヨンビエンナーレ参加。2014年福岡県文化会館建設50年記念「とっとっと?きおく×キロク=」参加。2013年沖縄のコザにあるARCADEで個展。など。今年の夏より文化庁新進芸術家海外研修制度、ポーラ美術振興財団在外研修助成を利用して中国重慶で一年半調査研修を行う予定。
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