Gate 05 Busan, Wanju
2017.01.28 @OTIANO
花田:ここから先は私が聞き役になるということになっております。宮田さん多分話し足りないことがいっぱいあるんじゃないですか?
宮田:もういいですよ、でも(笑)。あれを話してたら僕全部持っていっちゃうから、もうやめておきましょう。
花田:展示が終わった後の1週間について。ワークショップはアドリブでやれと言われたんですか?
宮田:そうですね、いきなり。
花田:普通ワークショップって材料を揃えたりね。
宮田:ああ、でもワークショップ自体の言葉の使い方がちょっと違って。日本でよくある材料を揃えて人を呼んで何か作りましょう的なワークショップではなくて、つまりはディスカッションだったんですね。
花田:参加者を集めて、声かけていって。
宮田:アーティストが全部集まってという。
花田:お二人とも色んな場所で展示の経験がおありでしょうから、今回韓国に行ってやってみて、他の場所との違いとか何か感じたりしましたか?展覧会の進め方とか、やりとりの文化の違いとか。
古賀:結構急に「これして」みたいなことがすごく多かったような気がします。
花田:宮田さんはどうですか?
宮田:僕はですね、今までそんなに展覧会の経験が豊富とはいえないので、そんなに比べられるようなものじゃないですけど。僕なぜか知らないんですけど変なプロジェクトにばかり参加しているので、オーストラリアにしてもそうだし今回の韓国もそうなので、バタバタしている感じというのは一緒だとは思うんですけど。
花田:バタバタ感がすごくあるんですよね。
宮田:勢いの国っていう印象がすごくあるんですよね、韓国って。情熱的だし、わっと盛り上がる。それこそ日韓ワールドカップの時とかにすごく鮮烈な印象が残っている韓国の人の盛り上がりみたいな、そのままの印象なんですけど、展覧会の組み上げ方とかインストールの仕方とかもすごくそういう感じかなと。日本みたいに全然他の作品とかケアしないで、「え?それ後で美術館の空調システム掃除するの大変じゃない?」っていうぐらい粉塵をバーっとやって、とにかく作っちまえみたいな感じでドカッと作ってしまったり。勢い感がすごいありました。
花田:時間にいつも追われてましたね、僕も。釜山ビエンナーレの話をもらったのは、多分半年前ぐらいだったんですよ。恐ろしいでしょ。5ヶ月前ぐらいに初めて下見に行って現地スタッフと会って、無理やりLINEに入れさせられたんですよ。僕LINEしてなくて、その時に嫌々やったんですけど、その後日本にいても山のようにLINEが来て、明日までに書類出してくれとか、明日までにパスポートのコピー送れとか、大学時代の親友レベルでめちゃくちゃ来るから、これはたまらんと思って、日本での仕事が全然進まんわと思ってLINEをやめましたもんね。
宮田:大丈夫なんですか?
花田:そうしたら電話がかかってくるという(笑)。国際電話がバンバンかかってきて。あと、宮田さんがアーティストフィーがないって嘆いてましたけど、どうでした古賀さん?これはちゃんとアーティストフィーが?
古賀:韓国からというか筑後アート往来の方から僕は行ったんですけど、僕は招いてもらった形になったので、ここの滞在費だったりとかは出さなくてよかったんです。その話で思い出したんですけど、彫刻家の方と知り合いになって、僕が韓国に行ったんですという話をしたら、その方は第1回目の釜山ビエンナーレに参加したことがあるとおっしゃられていて、呼ばれて行ったんだけどお金がないといきなり言われたらしくて。鉄の作家さんなんですけど、工場を借りてそこで作業をするという約束だったけど、お金がないからまず材料がなくて何もやることがないという状況で、それが3週間ぐらい続いたらしくて。さすがに帰ろうかなという時に、「明日からやっていいよ」みたいに言われて、3週間待った挙句ようやく制作開始みたいなことがあったらしいんです。何かそういう運営的なところで感じたところがあったのかなと。
花田:ありましたね。本当に振り回されました。バタバタ感がすごく強い割には、待ち時間も長いんですよね。お茶室を設営する時に、あの材料がいるという時にすぐに自分で買いに行けないんですよね。スタッフと一緒に行って、スタッフのこのクレジットカードじゃないとだめって。そのスタッフ1人であの会場全員分のアーティストのケアをしているから、待たされるんですよ。だから材料も来ないし、待ち時間がすごく長いというのはありましたね。
あとアーティストフィーがないのは、釜山ビエンナーレも一緒だったんですよ。あれだけでかい展覧会で。それはキュレーターみんなでだめだって言って付けさせましたけどね。なぜアーティストフィーがないかっていうと、彼らの感覚では絵画や彫刻がメインという頭があって、ビエンナーレに出展したら自分のアーティストとしての経歴に箔が付いて(後々作品が高く)売れるでしょ?って。だからただで出品させてあげるよみたいなスタンスだったので、いや違う、僕らが呼びたいアーティストはこのために時間を割いて、日頃の仕事をやめてくるんだからその日当をカバーしないとだめだよというのと、純粋にアーティストのアイデアに対して敬意を払ってお金で示さないとだめだよという話をして、やっと付けてもらった。ほんの僅かでしたけどね、急にそういう交渉をしたので。それこそ宮田さんみたいに、設営の仕事に来ている業者の日当をアーティストにも付けてもらったり、作品を制作経費としてものすごく積み上げていって、物をレンタルしたというお金として出してもらったり、色々工夫しながらやりましたね。
そろそろ会場の方から何か聞きたいことはないでしょうか?
質問者:日本の作家と海外の作家で、何かこう政治的なスタンスを、作品もそうなんですけど、作品を離れて2人でとかみんなで話している時に日本人と違うところがあったとか、気づいたことがあれば聞いてみたいです。
古賀:韓国の作家がですか?
質問者:そうですね。例えば色々な問題はお互い持っているけれども、美術で一緒にやっているじゃないですか。その時に作品の話でもいいし、お互い2人でいる時に何かそういう話とかしてるのかな、とか。そういうのにすごく興味があるんです。
古賀:韓国の作家、若い人たちは多分そうなのかなと思うんですけど、韓国の政府をあまり信用していないと。台北ビエンナーレに遊びに行ったという作家がいたんですけど、ここで韓国人のアーティストを担当している韓国のキュレーターの方が、ピックアップした作家のことを全然知らないままただ名前とか書面だけで判断してピックアップしたということを言ってて、「それ全然だめだよね。」みたいなことを言っていて。たまたまアジ美の五十嵐さんが釜山のオルタナティブ・スペースでトークをするという機会があったんですけど、五十嵐さんは色々なところに行っている人なんだというと、「普通はそうだけど韓国の人はそんなこと全然やらないんだよ。」と言っていて、それはだめだなとか言っていて。
僕が滞在していた後半ぐらいに釜山で地震があったんですけど、地震があった時も韓国の対応はすごく遅くて、信用できないとか言っていて、僕は日本人だから「地震の経験があるでしょ?どうすればいいの?」と聞いてきたんです。ホンティ・アートセンターはさっき見てもらいましたがコンクリートの建物です。頑丈なものと僕は思っていて、「ここは多分崩れないよ、頑丈だから大丈夫だよ」と言ったんですけど、「何言ってるの?韓国の建物なんてショボいよ。逃げよう逃げよう。」みたいな。そういうのが印象深いなと。「日本のものはすごくいいよね。」みたいなことは事あるごとに言ってましたね。
宮田:僕の今回のプロジェクトに関して言うと、半分ぐらいは韓国のアーティストだったんですけど来てなかったんですね、ほとんど。アジアのアーティストたちはみんな頑張って来てたんだけど、韓国のアーティストは忙しいとかなんとかで。ジョンジュ・ミュージアムというもの自体に、韓国のアーティストたちは「あそこでやるんだったらまあいいか。」みたいな感じだったのかもしれないなと思うんです。外からだとどんなところか分からないから、とりあえず行くというのがあるけど。来ていたのはほとんど地元のアーティストで、全然英語がしゃべれなくてコミュニケーションがとれなかったから、「よぉ!」と言うぐらいしかやってなかったし、日常的に話している会話は、こうやってお酒とピーナッツを次の人に渡して「彼女は?」って。で彼女はっていう話をするじゃないですか、奥さんいるだの、どういう風に出会っただのみたいな話をするんだけど、結局アーティストとしてみんな生きてるから、「実は別れたんだよ。金が無いからお前にはついていけないっていわれて。」とか。あとはすごいパトロンと住んでる、ゲイで超金持ちと住んでるから大丈夫とか。そういう痴話話から透けて見えるみんなのバックグラウンド、違う国でのそれぞれのバックグラウンドみたいなのを常に毎晩毎晩飲む中で話していたのもあるし、政治的な話とか文化的な話とかっていうのは、僕らの場合はディスカッションが組まれていたので、その中で朝から晩までずっとわーわー言ってましたね。その中で思うのは、やっぱり日本はすごく弱いですよね。そういう議論に関して。突っ込まれてもまず答えられない。日本語であっても答えられない。「安倍さんはどうなの?」とか言われてそれは今回のではないかもしれないけど、今日本はどうなってるのという話をされたとしても突っ込んだ議論ができないけれど、例えばそれがアジアはね、ちょっと今回のグループの中でもバラバラで偏りがあったけど、基本的にみんなクソだって言ってるから、政府は。アーティストなんてやってる人はみんなアウトサイダーだから、特に韓国なんて国はものすごい短い歴史の中でキュッと圧縮してバッと立ち上がった国で、文化に対しても何に対しても、それはキュレーターというか僕が前にあった人が歴史を紹介する中で言っていたんだけど、すごく無理が、そもそも無理があるって言ってた。そういう話とかも僕は全然、隣の国なのによく知らないし、逆に言うと向こうも僕らの色んな状況とかを分からないから、そういうところで色々お互い話をしていると、「え、マジで?」みたいな話はするし、もちろん例えばこれは今回いなかったけど例えばオーストラリア人とかがいたとして、クジラの肉を食べるとかそういうことでケンカになったりとか、歴史問題で戦争の話とかになって、すごく気まずい感じになったりとかも全然よくある話です。
質問者:皆さん行かれた時に、福岡出身ですよ、ということで、「あー福岡!」という反応ってあるんですか?韓国の方とか。
古賀:アーティストだったら、ああアジ美があるところね、って言う感じの反応の人が、雷児さん知ってるよみたいな話はありましたけど。一般の人たち、例えば買い物をしていて日本人かって言われて、そうです。福岡から来ましたって、ああ福岡行ったことあるみたいなことは、2、3回あったかなという感じですね。福岡だから損した得したみたいなのはなかったかなと思います
宮田:僕の場合はですね、色々仕事とかでも行くんですよね。ヨーロッパに行くと、福岡って言っても絶対わからないです。日本って言ったら東京か、分かって大阪ぐらいで、福岡はサウスシティで、九州アイランドというのがあってその中で大体一番大きい町だよっていう説明をするんですけど、誰も知らないから。でも、今回すごいなと思ったのは、20人ぐらい来てたんですよね、36人の中で20人来ていて、多分ほとんど全員知っていますね。福岡のことをまず。何で福岡を知ってるかというと、アジ美があるよねっていう話ですよね。アジ美でレジデンスしてる作家もいるし、福岡は超有名シティですよ、アジアの中では。というのはすごい、今回受けた印象としては。僕の場合は、基本的にアートの人と、作家とかアート関係の人としか話していないから、一般の人がどうかっていうのはわからないけど、少なくともアジアのアーティストの中で福岡っていうのはかなり知名度があるんだなって。これだけいて福岡が分かる、通じるっていうのは他の土地では一切経験してないので、それはやっぱりすごい。
質問者:韓国以外のアジアの作家?
宮田:韓国の人ももちろん近いし知ってるけど、それよりもやっぱりアジアの。韓国のアーティストが今回実はあんまり接点がなかったんですね。接触が薄かったので、そういう印象です。
花田:一緒。基本美術関係者だったら福岡の名前はアジ美の名前とともに必ず話題に上がりますね。一般の人は福岡じゃなくて日本から来たというと、お年寄りは特に日本語で話してくるんですよね。自分が昔日本語教育を受けたんだよとすごくフレンドリーに話してくれて、ところで君たち秀吉が僕らの国で何をしたか知ってるかい?って(笑)。あー・・・って。にこやかに。という経験などですね。
質問者:宮田くんがアジアヤング展で、「これは悔しいな」というような、めっちゃ面白い作品が出ていた?
宮田:ルー・ヤン/Lu Yangがいたので。福岡ではアジ美にレジデンスをしていた上海のスーパー・ビジュアル・アーティストがいるので。ルー・ヤンがプレゼンをしてくれた時、みんなボッカーンですよ、来てたアーティスト。特にインドのアーティストが目を真ん丸にして度肝抜かれて、「え?そんなアートがあるの?」みたいな話をしていて、「それどうやって作ってるの?どうやってインスピレーション得てるの?」とか。いやあんたらの神様えらいことにされてるでっていう。ルー・ヤンの作品を分からない方にはあれなんですけど。ルー・ヤンが今回展示していた作品は過去作だったからあれだったんですけど。後は似たり寄ったりでした。若手のアーティストだったから、かわいらしいなとか、かっこいいなという作品はあったけど、これはもう全然次元が違うなっていう作品にはお目にかかれなかった。個人的な感想では。
質問者:福岡のレジデンスってアジア美術館とか芸文館とか今やってるけど、どこかやっぱり、地域の人との交流というのがすごく印象に残るんですね。今日お話を聞いて、そういったところっていうのは韓国ではあったのかなというのは気になったので。要は、古賀くんの場合はそうかもしれないんですけど、地元を歩いてそこから影響を受けて作品化するとか、あるいは地元の工房なり職人さんと一緒に何かをしていくとか、そういう形での交流とかっていうのは、宮田くん以外のアーティストでもあったりしたのかなと。
古賀:個人的には特になかったんですけど、ホンティ・アートセンターがイベントをして滞在中にオープンスタジオがありました。オープンスタジオは3日間ぐらいあったんですけど、そのうち1日は周りの地域の人たちに向けてのイベントで、そのぐらい意識的にやらないと普通に過ごしていて交流するというのはまずないという状況でした。
宮田:僕らの時は完全にツアーで組まれてたんですよね。他のアーティストも、山奥の美術館だったので、地元の交流というか何もなかったです。本当に。食べるレストラン1つないみたいな感じ。
質問者:民家はないんですか?周りに。
宮田:何にもないです。
質問者:それでも美術館に人が来るんですか?。
宮田:来るんですね。なんかね、オープニングだけで500人ぐらい。
質問者:近くに町とか集落とかは?
宮田:ないんです。タクシーで3号線を海老津あたり?遠賀に抜ける山があるじゃないですか。あの辺の感じなんですよ。なんもないでしょ?あの辺を170キロぐらいで飛ばしたタクシーがビャーンっていって、着いてみたいな感じなので、地元との交流は一切何もなくて、プログラムの中で一応ハンノック・ビレッジっていうちょっと京都みたいな場所に3日間泊めてもらったりとか、次はここ、次はここという感じで名物を食いにいって。観光スポットを見てみたいなことはしたんですけど、全然交流はない。そもそもそういうプログラムじゃなかったんだろうなと。歴史的なことを見に行くとかっていうのも全然なかったし。それよりも若手のアーティストたちで色々話し合いたいというのが主旨でした。
テープ起こし 宮崎由子
関連記事
花田伸一(キュレーター)
「釜山ビエンナーレ2014特別展アジアン・キュレトリアル」報告
宮田君平(美術家)
「ASIA YOUNG 36」出展報告
古賀義浩(美術家)
「Hongti Art Center」レジデンス報告