シンガポール

「Singapore International Festival Of Arts 2015」活動報告
手塚夏子(ダンサー)

Gate 01 Singapore

2016.04.02 @六角堂(九州大学箱崎キャンパス農学部創立50周年記念会館)

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アジアとの出会い

よろしくお願いします。手塚夏子といいます。関東中心にコンテンポラリーダンスという領域でダンスの作品を上演してきて、2011年3月11日の震災がきっかけで九州に移住し、今は福岡で活動しています。
私はダンスと言っても、体をコントロールするダンスが苦手で、体がコントロール出来ない体で踊るダンスのやり方を模索していって活動してきたんですね。  
アジアというキーワードに、最初にダイレクトに触れたのは、アジアダンス会議という関東で行われたイベントでした。それが2007年で、初めて日本も含めてのアジアという枠組みで色々な国の方との出会いがあり、それまでダンスのプロジェクトでいろいろな国の人に出会ったのとかなり違う印象を受けました。
ダンスということで見ていた視野のどこか死角があって、見えてない部分があったのかもしれません。その、視野に入っていなかった死角みたいなものがその時に一気に現れたように感じたんですよね。
それは具体的にいうと身体の独自性というようなことです。例えばそこにはパプアの方やシンガポールの方も、タイの方もいらっしゃって、それぞれに「コンテンポラリーダンス」というジャンルの中ではあるんですけども、ダンスのテクニックであるとか価値というものとは別なところで、元々体に潜在している「何か」をものすごく強く感じました。タイの人やパプアの人と比較してしまうと、日本人のアーティストは私を含めてすごいペラペラな感じがしたというか、紙人形みたいな感じがちょっとしました。身体性の濃さが違うというか、それが「アジア」に関する最初のカルチャーショックでした。

枠組みを外す場としてのアジア -Asia Interactive Research-

それからしばらくして、今度は家族で関東の田舎のエリアに引っ越して暮らし始めたのですが、その土地でお囃子に出会いました。江戸囃子といって、笛と太鼓と笛とを山車の上で演奏しひょっとこや獅子舞を踊るというものです。お囃子は有名な芸能ですし、テレビなどでそれまでもどこかで見たり聞いたりしていたはずですが、それを生でその土地のお祭りとして見た時に、またもうひとつ別のカルチャーショックがありました。
その芸能をしている人たちは無名で、たとえば八百屋さんだったり潰れかけた電気屋さんのおじいさんだったり、そういう人たちなんですが、彼らがめちゃくちゃかっこいいことをやっている。それは体でずっと紡がれてきたものとしてそこにあるわけです。私はそういうものとは今までずっと無縁だった。それはいったいなぜなんだろう、と思いました。自分はダンスというものをやってるわけなんですけど、そういった物事につながる余地のないジャンルとしてのダンスっていったいなんなのだろうと疑問に思い始めました。芸能の中の踊りも「踊り」で、それなのに私のやっているダンスがそういったものとの接点の持ちようがないのはなぜなのか?そのような問いに向き合うためにも、もうちょっと日本の中の芸能を見ていったりしたいと思いました。いろいろ見ているうちにそれらの芸能を「日本」という枠組みで見るものなのかどうかもわからなくなり、むしろ国という枠組みではない視点で見ていきたいという気持ちになり、いろいろな地域の芸能を見に行きました。そしたら結構身近なところにすごく面白くて変わった芸能、すごく古くから紡がれてきたものなどがいっぱいあって驚きました。
そういうものに、それまで目が行かなかったのは、芸術とかやダンスという枠組みのせいで、すごく視野が狭い活動を自分がしていたのかもしれない、と思うようになりました。そして、「枠組みを外す」という発想を持つようになっていきました。芸能を見る時にも、いろいろな枠組みを外して、ただただ見るということを繰り返していくうちに、いろいろな流れの中でそれぞれの芸能が今ある姿になっているのかもしれない、と想像するようになりました。それは、それらの芸能がいろいろな例えば旅芸人や修験者や旅の僧やどこかの土地に落ち延びた人々やいろいろな人が影響を与え合い受けあいながら伝搬していって、そのうちに時代が変わったり政治が変わったり生活が変わったりして意味が代わり、内容が少しずつ変化しながら今この場所にあるんだけれども、具体的に何がどうなったのか今はもう分からないんですよね。そういった流れの中にアジアのいろいろな国々の要素は間違いなく混じっているのだろうなと思います。伝搬したり変化したりしつつ芸能は脈々と流れてきた。そういった流れを私たちはもう感じることができなくなってしまい、それゆえ、別のところに流していく力もなかったりするのかもしれないと感じました。一つのアジアというキーワードが自分の中で枠組みを超えた大きな流れそのものに感じます。本来は、日本という枠組で語れないように、アジアという枠組みでも語れない。だから枠組みとしてじゃなく、枠組みを外す場としてアジアと呼んでみよう、というところからリサーチを始めました。

Asia Interactive Research

Singapore International Festival Of Arts 2015での活動

自分の具体的な活動での最近のことでは、牧園さんが言ってくださったシンガポールでのプロジェクトについてご説明します。
参加したのはSIFA、つまりSingapore International Festival Of Arts 2015というフェスティバルです。シアターワークスという大きな劇団の芸術監督をしていたり、プロデュースとかの仕事をされてるオン・ケンセン(ONG Keng Sen)さんのディレクションで、1つは自分の作品を上演しました。もう1つはアーカイブボックスというものを作るプロジェクトです。それはオン・ケンセンさんが最初に日本のアーティストたちに提案し、ただ単に何をやったか映像でダンスを残すとか舞踊譜みたいなものを書くということじゃなく、その作品ができるプロセスや舞台上で起きていたことを凝縮したようなものを箱の中に詰め込むという発想で、ある1つのクリエイションとしてアーカイブボックスというものを作って見ようというプロジェクトです。それに日本のアーティスト数組、「ニブロール」の矢内原さんや「珍しいきのこ舞踊団」の伊藤千枝さんなど何人かの方が参加して、でその中の一人として私は参加しました。
シンガポールでは、日本のアーティストが作ったアーカイブボックスをアジアのいろいろな国の方に手渡し、手渡されたアーティストはアーカイブボックスを元に作品を作るという企画でした。私はスリランカのアーティストの方、ヴェヌーリ・ペレラ(Venuri Perera)さんという方にそれを手渡すことになりました。
「アーカイブボックス」の元になった作品は、最新作である『私的解剖実験-6〜虚構からの旅立ち〜』です。これは福岡で初演したものです。
作品は動きのあるものですから、動き自体は伝えようがなく、ビデオを見せて作ってもらうみたいなことではない方法でどうしたらよいか?というところにそれぞれ何が大事ということが問われ、私の場合は透明な瓶の中に手紙と指示書を入れて手渡しました。指示書の内容っていうのは私がどういうプロセスでこの作品を作ったかっていうそのプロセスを追体験してもらえるような指示書になって、その中に私の問題意識が入っているので、ちょっと読みますね。

お手紙

はじめまして。私は西暦1970年に、現在「日本」と呼ばれている国の神奈川県横浜市に生まれた女性です。私たちが生きている時代に政治的に重要なことがたくさん起きていましたが、学校での教育やマスメディアを通して伝わって来る情報からは重要な事が重要でないようにしか伝わらないことが多く、私はそれなりに楽観的に世の中を見て生きてきました。自分の着ている服、家、生活、アニメ、テレビタレント、学校生活、そういったものに囲まれて、特別疑いも持たずにある程度まで大きくなりました。とはいえ、「表面的な問題のなさ」への漠然とした違和感も同時に持っていました。しかしその違和感を共有できる相手は大人になるまで見つかりませんでした。

西暦2011年3月11日に、日本の東北地方で大きな震災、および原発事故が起きました。それをきっかけに、日本で見えていた表面的な平和の裏側で実際にどんなことが起き続けているか、いろいろと見えてきました。日本だけでなく、いろいろな国同士の関係も、楽観的に考える事ができないような、深刻な問題がたくさんあることも分かってきました。例えば経済的な危機やエネルギー問題や、原発問題や戦争の可能性などが今後どのような展開をもたらすのでしょうか?それらの悲観的な見方をたくさんできるような状況を現在生きることになったのです。

この文章を読んでいる方の文化圏、生い立ち、考え方、時代は私には想像しきれませんが、瓶に詰めた手紙のようにこの書き物をできるだけ遠くに投げたいと思っています。そして、この書き物との接点を持った人がまたどこか遠くに投げて下さいますように。それが何かの役に立つのかは分かりませんが、ひとまず小さな流れを生み出すことになりますように。

西暦2014年12月8日 手塚夏子

っていう手紙で、そして指示の最初にまず

◎上演していただきたい方
西欧以外の国々において、西欧化および西欧近代化が起きた時期に、国や地域によって様々な変化が起きました。それらの影響によって自分が生きている文化圏にかつて大きな価値観の変動があったと感じているアーティストの方に、以下の指示に添って上演をしていただきたいと思います。

◎指示
1)今、自分が生きている文化圏において、上にあるような価値観の変動が起きた時代以前の要素をかすかにでも残している文化的な行為(祭りや芸能、儀式など)を3つ以上、実際にその場に立ち会い、全身で体験してください。

2)それらの行為(祭りや芸能、儀式)は一見すると見えているものの下に見えないものの影響があるので、それを辿ってください。たとえば長い時間、それらが同じように行われてきたのか?途中でどんな変化を経てきたのか?どのような理由で変化してきたのか?あるいは、それらをやっている人々が幸せなのか?その当事者と部外者の関係はどんななのか?などいろいろな視点で見てみてください。

3)そうすることで、今を生きる当事者としてのあなたが何を感じるか?かなりしつこく自分にきいてみてください。たとえば漠然とした違和感、不快感、興奮、惹きつけられる感覚、みたいなものが沸き起こって、「なぜ?」とか「どうなってるの?」といった気持ちになるかもしれません。表面的に感じていることではなく、あなたの深いところで強く感じていることがなんなのか?自分を観察してみてください。

4)自分が感じていることを無理やり言語化しようとすると、うまくしきれなくてかなりモヤっとすると思います。しかし安易に言語化してしまうと、自分が本当は何が知りたかったのか、ということからズレてしまうかもしれません。それをズラさないために、ぴったりした言葉が出てくるまでいろいろな言い回しをためして問いや仮説にしてみてください。それを元にあなたが実際に行うなんらかの行為、経験可能な何かに置き換えてみてください。それを私は実験と呼びます。できれば、複数の人と共有できるようなことにしてみてください。そして実験をやってみるとその仮説が本当に知りたいことから離れてしまう事もあります。その距離をどうやって縮めるか?に挑戦するために、何度も実験を作り直してみます。あるいは、そうしている間にあなたの感じ方が次第に変化し、感じていることが本当はなんだったのか(つまり自分の潜在的な「知りたいこと」)が少しずつ判明していきます。
注)この場合、化学の実験のように明確な「仮説」と「実証」を対応させるようにすることは難しい。むしろ実験を通してまた新たな「問い」が無数に生まれるような作業をするとも言える。結論を出そうとしないことが大切である。

5)実験を繰り返したことで潜在的な知りたいことが浮かび上がってはっきりした時、実験はやがて、現代のあなたを取り巻く世界への反応を反映させた現代の芸能又は祭り、あるいは儀式等へと昇華していくでしょう。

6)指示書5)までの取り組みを終えた後、この指示書を次にどんな人に手渡したいかを考えて、あなたの取り組みに必要だった資料を提示し、私の冒頭の手紙の後にあなたからの手紙を添えてください。

すいません長くて、これをですね、スリランカの方にやっていただいたんですけども、すごかったです。それがどんな感じだったかっていうことだけ最後に伝えたいです。

アーカイブボックスを受け取ったスリランカのダンサーのパフォーマンス

まず彼女はスリランカで、いろいろな国にアート活動で行っているんですけども、スリランカのパスポートっていうのはすごくいろいろなところで弱い立場にあるらしく、簡単には入れない。簡単には国境を越えられず、いろいろなことを質問されたり、ビザが必要になったり、すごく大変でそのことについての実験というか儀式みたいなものを彼女は作ったのです。

まずパスポートのすごく強い西洋の国の方に来ていただいて、北欧のパスポートの一番強い国、知りませんか?

牧園:スウェーデン

スウェーデンだ!すごい、スウェーデンなんですって、彼女が言うには世界で一番強い、通用するっていうことらしいです。彼女がスウェーデンの方にまず、「そこに座っていただき、私のパスポートに祝福を与えていただきます。」と伝え、まず座らせる。で他にもパスポートの強い国の方、例えば日本とか、韓国とか、アメリカとか、・・・全部それを名指しして、その方はこっちにいらしてください。と椅子に座ったスウェーデンの方の後ろにその人たちが座るよう彼女は促します。
で、弱い国の方、どことか、どことか・・・全部言って、その人たちは反対側に座らせます。
それで私のアーカイブボックスの入っていた透明な瓶を使って儀式をするんですけど、最初にパスポートとお金とお菓子みたいなのがいっぱい入ったカゴをパスポート強いと言われた人達に回します。
それで祝福を与えてください、と彼女が指示し、みんながどうしていいかわからない気持ちになっていきます。
その後にパスポートを取り出して、入国するときに質問されるリストみたいなものをスウェーデンの人に読んでもらい、読んでもらった質問に自分がひとつずつ答えていく。例えばあなたの職業はなんですかとか、収入はいくらですかとか、性別は?っていう風に、一つ一つ聞かれて、彼女は自分に問いかけるようにしながら答えていく。
そのあとでその紙を燃やし、その灰を瓶の中に入れて、そこに粉ミルクの元を入れて水を入れて、自分のパンツを燃やして、その灰を入れて、蓋をしてそれを胸の前で、自分の体の揺れを増幅させることでシェイクするんですけど、それがなんていうかな、すごい振動なんですよね。
でその後に頭の上に乗せて手を離しておまじないを唱えながら落とさないようにして歩いていく。
それを一通り終えた後にそのミルクをスウェーデンの方に渡して、それを自分の顔にかけさせる。っていうようなパフォーマンスを・・・これは説明聞いてもあれですけど、実際そこに立ち会うとですね、振動みたいなものが伝わってくるんですけど、自分はパスポートの強い側に立たされてる訳です。そこでヴェヌーリさんが顔中ミルクだらけになっているっていう状態。そのすっごい暴力的な構図の中に自分が位置づけられ、そこにいたたまれないような気持ちで立ち会う状態という、そういうパフォーマンスだったんです。

ヴェヌーリさん(スリランカ)のパフォーマンスと自分の作品の共通点

その、彼女のパフォーマンスが元の私の作品にすごく近いところがあったんですよね。私のパフォーマンスが、時間があったらお見せしようかなと思ってたんですけど、時間がないので簡単に説明すると、何人か立ってる人たちがいろいろな質問をされてそれに答えなくてはいけなくて、それに答えようとすると自分をあるカテゴリーに線引きして、自分で自分を枠組みに入れてしまうようなそういう質問をどんどんされる。それは俯瞰した評価基準みたいなものに自分が無理やり当てはめられてしまうような、視線を強く感じて自分がそれに怯えたり、自分を虚像化させて自分を線引きの中に入れたりしてしまうということで、そういう質問をされ続ける。
それでその質問に耐えられなくなって、体が痙攣したりといった反応が出てくるんですけれど、それを増幅させていって、その増幅させることによってその線を解いてゆくっていう作品だったんです。パスポートも線引きをすることでもあるし、「質問される」というのはその人をあるカテゴリーにはめ込むことになったり、そういうところに類似点を感じました。
彼女はもちろん私の作品は観たことも説明を聞いたこともなかったんです。でもすごい不思議に感じて、彼女自身が持ってる問題意識であったり彼女自身のいる世界とか価値観みたいなものと私の作ったことの中に類似があったということだと思います。彼女はこのあと韓国のアーティストにこのアーカイブボックスを手渡すことになりそうです。

ここまでは、SIFAというフェスティバルの中だったので予算のある企画だったんですけど、ここからは流れはあるけどお金はない状態なんですね。なのでちょっとどうなるかまだわからないけれど、色々アテを探しながら続けていきたいなと思っています。そんな感じです。ありがとうございました。

今後の活動について

牧園:シンガポールでされたものを、韓国でもやるんですか?

そうです。今のはアーカイブボックスのお話でしたけど、上演した自分の作品は福岡で初演した『15年の実験履歴』っていう作品で、シンガポールの時は全部英語バージョンにして上演しました。今度は韓国でやるにあたって全部韓国語で喋れるようにしてやろうと思っていて、ちょっと大変な状況です。

牧園:他に日本のアーティストも芸術祭には出るんですか?

韓国(光州)のフェスティバルに出るのは、私の他に梅田哲也さんと安野太郎さんとチョイ・カファイ(Choy Ka Fai)さんが関わる予定です。あとキュレーションを捩子ぴじんさんが担当し、本人も出演します。

牧園:どうもありがとうございました。

質疑応答


Q:ビデオは見ないんですか?

みましょうか、彼女のパフォーマンス映像はウェブ上には無いです。見たいですよね、ここまで聞いたら…。


Q:撮影はされてないんですか?

してると思います。
日本でも一度やったんですよね、だからそれは記録されてるはずで、それはこないだやったTPAMです。正式名称はPerforming Arts Meeting in Yokohamaです。私も欲しいんですけど。
では6だけ見てみますか。

私的解剖実験-6(CM)version-1


Q:振り付けなどはしているんですか?

意図的にというか、自分の中の反応を観察して、増幅を故意にやるというよりも、より観察していくと過敏になっていくんですよ。
なのでただそこを見ているだけで、それを止めているものを外すような感じにしていっています。
普通にこうやって喋っていても、動く時ないですか?その延長線上です。あとそれぞれの人が内発的なものを大事にできるようなちょっとしたエクササイズみたいなことはやっていました。内発的な体のあり方にスポットを当ててもらうような感じ。


Q:これに出ている人はみんなダンサーなんですか?

私を含めて3人はダンサーで、このウロウロしている人は演劇の人です。演劇の人と言っても作家で、役者じゃないです。


Q:全部即興でやってるんですか?

そうです。ただ質問の内容はみんなで考えたので知ってる内容ではあって、ランダムに質問されてその都度自分がその質問に向き合うというスタイルなので、本当に初めてされた質問じゃないんですけど、その問いに毎回自分が向き合った時に何が起きるか観察しながら答えてもらいます。だんだんみんな壊れていきます。

(映像終了)


Q:僕は特別支援学校の高校の先生なんですけど、小中高一緒の学校で、小学校はこういう子多いです。ちょっと面白いなと。彼らは知的障害を持っているんですけど我々の感覚でいうと唐突にパッと行動したりとかが、それがよく似てるなと。

なんかこう線引きを取っ払ったら、こうなるというか。そういう感じのところがあって、常にこういう風にしているんじゃないんだけど、何かあれば反応できる体っていうか、だったんじゃないのかな。そういうことが踊りとか芸能とかを立ち上げていったのかもしれない。それぞれの体のどこかから湧いてきたものですよね。
今の芸術みたいに「手塚夏子という作家です。」みたいな事じゃなくてどこから湧いてきたのかわからないような歌や踊りや芸みたいなものがいっぱいあって、そういうのに反応できる体があってまたあって、反応が反応を呼んで芸能が立ち上がってきたんじゃないのかなっていう、私の一つの思いがあって。


Q:もともとあんな感じだったんですか?
こうやっておとなしく聴いてるわけじゃなくて、主体性を持ってじっと聴いてるわけで・・・

でもなんか江上さんのに出てきたああいうインドネシアの街の壁にだれかが勝手に絵を描いていたりとか、線引きがあいまいな世界っていう感じがしますね。気がついたら街がそうなっていたりとか、そういうのはすごい面白い。そういう反応する力があって、ものを立ち上げる力があって、いろいろ大変な状況の中でもそうすることで生きていけるというか、大変な状況に対して拮抗する力を持つことができるような感じがしますね。

テープ起こし 玉井静穂

スピーカープロフィール

手塚夏子(ダンサー/振付家)
96年より、マイムからダンスへと移行しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。01 年より自身の体を観察する『私的解剖実験シリーズ』始動。10年より、国の枠組みを疑って民俗芸能を観察する試みであるAsia Interactive Researchを始動。13年、関東から福岡県へ活動拠点を移行させる。
http://natsukote-info.blogspot.jp/