ダッカ

「ダッカ・アート・サミット2016」報告
五十嵐理奈(福岡アジア美術館)

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2016.04.02 @六角堂(九州大学箱崎キャンパス農学部創立50周年記念会館)

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バングラデシュの首都ダッカで開かれた「ダッカ・アート・サミット2016」(2月5〜8日、会場:バングラデシュ国立シルパカラ・アカデミー、主催:サムダニ財団)は、南アジアの現代美術に焦点をあてた2年おきの大規模な国際展で、今年で3回目。これまでの美術業界の階層制度を破るような若手作家の登用や美術市場を創出しようとする点で画期的な展覧会だったが、一方で外国人ディレクター、キュレーターによる企画のみであり、バングラデシュ人の不在性が際立った。2018年の次回の展開に期待。

五十嵐理奈(福岡アジア美術館 学芸員)

はじめに

福岡アジア美術館(アジ美)で学芸員をしております五十嵐理奈と申します。今日はよろしくお願します。アジ美の学芸員になって14年目を迎え、これまでアジ美で働く中で、アジアのあちこちに調査に行ったり、アジアからレジデンスの作家を呼んだり、アジアの展覧会をしてきました。しかし、それがどういう風に福岡の中に根付くのかというか、伝わるのかというのを最近すごく考えるようになっています。アジアに調査に行けば福岡、福岡市美時代からですけれども、福岡がいろんなアジアとの関わりを作ってきたね、と言う声はよく聞くんですけれども、逆に福岡にいると、今紹介してくださった牧園君とか八頭司君とか若手の作家の人たちに、アジ美がやってきたことがどのように伝わり、そこから次の何かにつながっていくきっかけを作れてきたんだろうか、またこれからどのように作れるんだろうかということを、長く働く中で考えるようになりました。なので、今日、色んな立場の方が関わってこういうアジア美術にかかわる会を立ち上げられて、ここで話をさせていただくというのは非常に嬉しいなと思っています。ありがとうございます。

アジアとの出会いと自己紹介

まず、アジアと出会ったきっかけみたいなものを話してください、とのことでした。きっかけを遡るとたぶん中学くらいのことで、アジアの美術と出会ったという訳ではなくって、中学の頃でしょうか、学校にアジアからの留学生が来て、民族衣装を着てみるとか、話を聞くとか、そんなようなことが、多分最初の出会いだったと思います。アジ美で働く前はバングラデシュの刺繍の布の研究をしていて、文化人類学を勉強していました。なので、美術館に入る前は、今ここの地図に出ているバングラデシュというところに住んで、調査をしていました。(以下、地図を示しながら)バングラデシュはこの線に囲まれたところですが、今日お話するのは首都のダッカで今年の2月に行われた「ダッカ・アート・サミット」という大きい国際展についてです。
 その前に、もう少しアジアとの出会いから、アジ美で働くようになった経緯について話しますね。私が住んでいたのは、ジョソールという小さい町で、その西側がインドとの国境線なんですね。この点々で囲まれているところがインドの西ベンガル州で、昨日か一昨日コルカタで鉄橋が落下した事故でニュースになっていましたけれど、コルカタも同じベンガル地方です。
 韓国と北朝鮮、西ドイツと東ドイツという風に、ちょっと状況は違いますけれどもこの点線の西ベンガル州とバングラデシュは同じベンガル人が住んでいて、後に別々の国となった地域です。イギリスの植民地支配から独立するときに西側の西ベンガル州はヒンドゥーの人たちが多くてインドに属することになって、バングラデシュのここの部分はイスラムの国、パキスタンの一部の東ベンガルとして独立し、さらにその後バングラデシュとして独立するということになりました。私は国境近くのジョソールというところに滞在し、刺繍の布を作っている小さな村で調査をしていていました。その後、色んな出会いがあってめぐりめぐって、福岡アジア美術館で学芸員として働くようになりました。ジョソールの村で調査しているころは別に美術をやっていたわけではなかったので、たまに首都のダッカに村から出て展覧会を見に行ったりすると、お金持ちのセレブの人たちの世界という感じで、実は、逆に反感というか、何をやっているんだろうと思っていたものです。でも、実際その業界の中に入ってみるとそれぞれ真剣に取組んでいる作家たちに出会うことができました。アジアに出会って、アジ美で働くようになったきっかけはこんなようなところです。

「ダッカ・アート・サミット」とバングラデシュの美術界

さて、今回の「ダッカ・アート・サミット」ですが、お手元に資料を2つ3つお配りしていて、レジュメには「ダッカ・アート・サミット」のほか、今日お話するいくつかの美術団体とか国際展を挙げています。その裏には、よく説明をするときに使うんですけれども、「バングラデシュ美術界2016」という、美術業界がどのように構成されているかを示す簡単な図を用意しています。今回、2月4日~11日まで1週間くらいバングラデシュに行っていました。今までのアジ美の調査では、次に予定している展覧会のためやトリエンナーレに招聘する作家を探しにいくためにアジアに行くことが多かったのですが、今回は初めてバングラデシュ側から来てほしいと言われて行きました。私がバングラと関わりをもった最初が1994年なので、そこから20年以上経つ中で初めてバングラデシュ側から招聘され、「ダッカ・アート・サミット」で話をするために行きました。そういう意味で、これまで何度もバングラデシュに行きましたが、自分にとっても新しいバングラデシュとの関わりが見えた滞在でした。

「ダッカ・アート・サミット」は、4日間の大きな国際展ですが、個展のプロジェクトとか招聘キュレーターによる展覧会、映画上映、トーク・プログラムなど多彩なプログラムが組まれていました。トーク・プログラムのひとつが、南アジアの現代美術を所蔵している非西欧圏の組織が、それぞれどのようにコレクションを築いて来たかについてで、そのプログラムで私はアジ美の南アジア作品のコレクション形成の話をしてきました。
 

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トーク・パネル「南アジア美術のコレクション形成」について香港、スリランカ、インド、UAE、日本から発表

「ダッカ・アート・サミット」は、バングラデシュのダッカで行われている展覧会ですが、この壇上にあがっている人たちの中にはバングラデシュ人が一人もいません。パネリストは、一番右がオランダの美術館で働くドイツ人キュレーターで、隣の人が香港にあるAsian Art Archiveというアジアの現代美術の図録や資料を集めているところで働いているパキスタン人ですね。次の方は、スリランカの人でオーストラリアのAsian Pacific Triennale of Contemporary Artのキュレーションに関わっている方。私がいて、その隣がインドでプライベートのミュージアムを持っている方。一番左にいる方が中東のシャルジャ・ビエンナーレのキュレーターの方です。これ、展覧会を象徴する一つの写真だと思うんですけれども、ダッカで行われる南アジアの現代美術をもり立てて行こうという趣旨の大きな展覧会なのに、それを行っているのはキュレーターも外国人の方ですし、このようなトーク・プログラムに出るのもほとんど外国人で、ほとんどバングラデシュ人が表に出てこないというような展覧会になっています。もちろん展覧会には、バングラデシュ作家の作品がたくさん出品されているのですが、全体のオーガナイズとか、表に出てくるところが、全体のシステムを司る部分がバングラデシュ人ではなくて、外の手によって行われている、ということなのです。
 

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「第5回福岡トリエンナーレ2014」参加作家コビール・アフメッド・マスム・チスティの鏡の自分と闘うパフォーマンス《Dialogue Negotiation》2016年

展覧会全体では、普通に絵画や映像を展示する展覧会もありましたし、その他にパフォーマンス・セクションというのもあって、こう上からのぞけるような吹き抜けの広いところが四つに区切ってあって、この区切られたスペースで各作家がずーっと1日4時間以上パフォーマンスをし続け、それを上からとか下からとかみんながずうっと見ているという、ちょっと見世物的な感じがする不思議な空間でした。ここでテニスのパフォーマンスをしているのが、2014年の「福岡アジア美術トリエンナーレ」の出品作家だったコビール・アフメッド・マスム・チスティ(Kabir Ahmed Masum Chisty)というバングラデシュの作家です。
 この展覧会はサムダニ美術財団という大きい美術財団が主催する展覧会ですが、このサムダニ美術財団というのは、まだ若いサムダニ夫婦が創立した美術財団で、本業としては貿易関係を主として手広く色んな事業を展開している企業なのですが、この夫婦がアートに興味があるということで、自分たちの美術財団を作ったのです。その美術財団がお金を出して2012年から2年ごとに行われているのが「ダッカ・アート・サミット」です。この展覧会の、前回と今回のディレクターをしているのが、ダイアナ・キャンベル・ベタンコート(Diana Campbell Betancourt)という女性の方で、つい先日までアジ美にレジデンス・リサーチャーとして滞在していました。それについては「あじびニュース」の「ダイアナさんが語るダッカ・アート・サミット」に詳しいです。彼女はインド在住のアメリカ人で、ディレクターの目でみた「ダッカ・アート・サミット」というのがどういうものかが、ここに書いてあります。ぜひ後で読んでください。もう一枚の配布物は、今月号の「美術手帖」に私が寄稿したもので、「ダッカ・アート・サミット」をどう見て、どこに問題点があったのかを書いたものです。ちょっと批判的なことも書いていますが、読んでいただければと思います。

ここからは、会場の風景などの写真を見てもらったあとに、バングラデシュ美術業界全体のなかで「ダッカ・アート・サミット」がどういう特異な位置にあったのかをお話したいと思います。

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バングラデシュ近代美術作家ラシッド・チョードリー作品「Rewind」展より

「ダッカ・アート・サミット」には、作家それぞれの個展のプロジェクトというのもあれば、招待キュレーターによる展覧会というのもあって、招待キュレーターはイギリスのテイト・モダンとかプランスのポンピドゥ・センターなど、まあいわゆる欧米の有名な美術館で活躍している人や、もしくはインドかパキスタンのキュレーターでした。彼らを招待し、それぞれ展覧会をキュレーションしてもらい、それらが大きな会場の中にいくつも展開するというかたちなっています。展覧会に関しても、残念なことにバングラデシュ人のキュレーターがキュレーションした展覧会というのが設けられていなかったです。

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トーク・パネル「Art Initiatives off the center」での南アジアのオルタナティブ・アートスペースの代表たち

トーク・プログラムのひとつに、南アジア各地でオルタナティブ・スペースなどを運営している人たちが次々に活動紹介をするプログラムがありました。この写真の、一番右にいる人がシャエラ・シャルミンというリサーチャーで、彼女は何年か前にアジ美のレジデンス・リサーチャーとして福岡に来ていまして、福岡のアート・スペースについてリサーチをした人です。彼女が運営するオルタナティブ・スペースについてのプレゼンの中で、牧園君がチッタゴンというバングラデシュの第二の都市でレジデンスをしたことにも触れていました。

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ベンガル・アート・ラウンジでの2人展

「ダッカ・アート・サミット」が行われている期間、外国人がたくさん来るので、それに合せてダッカ市内ではいくつも展覧会が開かれていました。ここはサムダニ財団とは別のベンガル財団という、やはり財閥が作った美術財団が持っているギャラリーでの展覧会です。ここで展示しているのが、この左に立っているのがジハン・カリム(Zihan Karim)というチッタゴンの作家なんですけれども、彼もアジ美の2014年の「福岡アジア美術トリエンナーレ」の出品作家として選ばれ、参加した作家です。その参加の後、いろんなチャンスを得るようになり、こうした立派なギャラリーで展覧会をするまでになっています。ちなみに彼の隣にいる人はフランスの人で、もともとバングラデシュにあるアリアンス・フランセーズ、フランス政府の文化機関で働いていて、その後、ベンガル美術財団に雇われてギャラリーのキュレーターとなった人です。ここ数年、バングラデシュの中でキュレーターという名で活躍している人たちには、外国人が増えてきているという状況があります。これはジハンの映像インスタレーション作品です。バングラデシュのなかで、こういう白い部屋で展覧会をする空間をきちんと作ったのは、ベンガル財団が最初でした。

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ダッカ・アート・サミット会場のシルパカラ・アカデミー入口

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バングラデシュの美術界2016(作成:五十嵐理奈)

「ダッカ・アート・サミット」の会場の写真に戻ります。もう少し、どのような作品が展示されていたのかをお話したいと思います。このラッセル・チョードリーの写真作品は、今回サムダニ財団のサムダニ賞をとった作品です。普通バングラデシュの場合は、ダッカの美術大学を出た人だけがアーティストになるという階級システムが強くあるんですね。フリーでアーティストになることはまずなくて、大学の芸術学部を出たらアーティストという称号をもらえるということなのです。しかし、今回のサムダニ賞の受賞者は、その中でそれとは違う動きです。お配りしたレジュメの裏側に、バングラデシュの美術界の図を書いていますが、まずダッカ大学芸術学部などを卒業することがアーティストへの道となっていて、その中で大学の先生になって行く人とフリーのアーティストになっていく人がいます。大学の先生になった人は政府が行うような展覧会に作品を出していくという、図の上の方の流れになります。図の下のフリーの作家のところで、グレーの枠の部分、アーティスト・グループ、専門学校、アート・スペースは、いわゆるバングラデシュ美術の階級制度から外れて、自分たちのやりたい方法で活動する動きの流れです。そうした活動が、2000年くらいから始まるんですが、その動きが近年さらに活発化していて、このサムダニ賞受賞の写真作品を発表した作家も、新しくできた写真の専門学校で勉強して作家となった例で、ダッカ大学芸術学部を出ましたというお墨付きがなくても、活躍するような作家たちが新しく出て来ています。

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アイシャ・スルタナ《A Space Between Things》2015-16年

これはアリシャ・スルタナというパキスタンに留学したバングラデシュの作家の作品で、ダッカ大学の芸術学部ではなくて、この美術界の構成図からいくと海外留学をしてバングラに戻ってきて活躍している人です。

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「第5回福岡トリエンナーレ2014」参加作家ジハン・カリムの《Eye-1》2016年

これだけたくさんの映像作品を、機材をそろえ、きちんとファシリティを整え、かつ軍人風の監視員を配置して、作品を触らないように試みるという—バングラデシュでは、普通作品を展示していてもどんどん触ってしまうのがほとんどなので―、こうしたルールやファシリティを整えた展覧会、展覧会の運営のシステム自体を「ダッカ・アート・サミット」がバングラデシュに持ち込んだと思います。バングラデシュで現代美術に触れる人というのは、中流階級かそれ以上の人たちの極わずかで、そういう人しかこういう展覧会には来ないのですが、そんな状況にあってどうにか地元に人たちを取り入れようという動きもありました。

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展覧会会場の外の無料スペースでのプールの上のコンサート会場

ここに座っている人たちは、おそらく会場近くの地域に住んでいる人たちです。この池みたいなところで何を待っているかといったら、今から人気の歌手がやってきて池の上の仮設ステージで歌と踊りを展開するというところで、これは最初に写真で見たパフォーミング・アーツとは全然違って歌謡曲みたいなのを歌うものです。でも、このように現代美術の展示をしているギャラリーの他に、その横にこういった場所を設けることで、美術の遠くにいる人たちを誘い込もうとする試みがなされていました。
 先ほど、「ダッカ・アート・サミット」でサムダニ賞を受賞した作家がいたといいましたけど、その作家が勉強したのが「南アジア・メディア・インスティテュート」というところで、この写真の専門学校です。「ダッカ・アート・サミット」の時期に合わせて、ここでも展覧会が行われていました。バングラデシュは写真を撮る人が多いんですが、なぜかというと、経済的に貧しいバングラデシュには、長く国連の機関とか国際NGOなどの開発援助の手がたくさん入っていて、そういった組織では常に報告書が必要とされます。そうした、報告書用の写真を撮る人がたくさんいるんですね。きれいな風景やお母さんと子どもの姿、識字教育をしているところなど、効果的な写真を載せた報告書が必要でジャーナリスト的な写真家というのが増えたのです。しかし、近年、それらとは異なる自己表現としての写真を目指す人たちが増え、写真学校がかなり活動的なのです。

このように「ダッカ・アート・サミット」という機会をうまく使って、市内のアート・スペースがこのように、いろいろな展覧会を開いていましたので、「ダッカ・アート・サミット」は、いい機会を生んでいると思います。でも、「ダッカ・アート・サミット」をバングラデシュ人自身のキュレーターがキュレーションをしたり、自分たちで美術や美術史をリサーチしてちゃんと展覧会に仕立てていくということは、されていませんでした。ここから今後、どのように展開させていくかというのが今から重要になっていくのではと思っています。

質疑応答

Q:規模が大きいものだと思いますが、大体一般のお客さんが見に来て、どれくらいで見られるのか、入場料は?


入場料は無料です。4日間しか行われていので、展覧会というよりいわゆるアート・フェアやお祭りといった雰囲気のものですね。来ているお客さんの数については、「あじびニュース」のダイアナさんの記事によれば、13万8千人の観客とありますが、ちょっとこの数字はどういう数え方かわかりませんが、4階建てくらいの結構広い建物に、展覧会が6,7個あって、その他に映画上映会とかアーカイブプロジェクトとか評論プロジェクトとかがあって、作品を全部見るだけでも2日くらいかかる規模でした。


Q:販売している?

作品の販売はしていないんですけれども、主催しているサムダニ美術財団が狙っているのが、たぶんバングラデシュ美術のマーケットをつくるということであり、売ることを全面には出さないけれどもすごくその臭いは感じました。あと美術とは別ですが、サムダニ財団が手がけている貿易や食品事業などのネットワークを使ってお客さんを呼んでいるように見えましたし、展覧会場横のフードコートは自分の会社が運営するものだったりして、お金の動きと展覧会とがリンクしている印象でした。地元の作家たちにとっては、こんなに海外から欧米人が来て、日本人や東アジアの人は私くらいしか見かけなかったのですが、あとはパキスタンインドから作家が来ていて、作家自身が海外に行かなくても欧米のキュレーターや関係者に会うことができる機会です。そして、そうした人々を集める力をサムダニ財団は持っていて、そういう場で作品を見せるチャンスは今しかないと感じた作家たちは、気合いを入れて作品制作をしていました。もちろん、そういう機会があること自体はすごく良かったのですが、こうした場で評価され、受けるように作品制作をしているように見受けられたので、ここからどうなっていくか気になるところです。

Q:2回目3回目と続ける中で変化していったり改善されていったりすると思うんですけれど、前見たんですかね?初めて?人に聞いたりした話しで、今回どのような改善や展開があったのか。

今回の展覧会について、地元の中堅作家に評価を聞いたところ、あまりいい答えはなかった。聞いた相手が中堅の作家だったので、ちょっとバイアスがかかるのですが、この展覧会は、この図(バングラデシュ美術界の図)で見ると、政府系の階級制度を司っている人たちを飛びぬけて、下の若手のフリーの作家たちを突然表舞台に連れだすような、良くも悪くもそういう機能を結果的に持った展覧会だったので、多かれ少なかれ制度のなかでやってきた中堅以上の作家がほとんど紹介されていないのです。そうした状況の中で、私が中堅作家に話を聞いたのでバイアスがかかっているかと思いますが、ちょっと作品が多すぎる、情報が多すぎるといったことを言う人が多かったです。展覧会を見る場所とか、作品を見るという場所がよく整っていない、つまりお祭りのように人がうわーっと集まっている中で作品を見ることになっていて、狭い空間の中に色んなものを押し込めていて作品と対峙するという空間が保たれていないという批判はよく聞きました。もちろん今回良くなったところも色々とあると思うんですけれども、前回前々回を見ていないのできちんとお話できません。


Q:続いたというのは、それなりに成功したからと思うんですけれども、何をもって成功というんでしょうか。

まずたぶん数字は大きいと思います、見に来た人も多いですし、美術に関心のなかった人たちも見に来て、一つの流行のようなものを作り出し、美術業界だけでなくってビジネスマンとしてある階級以上の人たちの社交場として機能していたと思います。また、若手の作家にとってはインド、パキスタンの作家の動向を国内で見られる数少ないチャンスなのでそういう部分ではこの展覧会を楽しみにしている人は多いと思います。
この「ダッカ・アート・サミット」のほかに、バングラデシュ政府が1981年から続けている「バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」という国際展があって、同じ会場を使った規模で、200作家程が参加する大きな展覧会ですが、キュレーションが全くされていないので、日本の展示、韓国の展示というようにただただ国別に並んでいるだけなんですね。政府を通して作家が呼ばれて展示をしているだけなので、これは韓国の作家なのかと思うくらいへなちょこなものが並んでいることもありました。バングラデシュに、そういった内容の国際展しかなかったところに、キュレーションをちゃんとした「ダッカ・アート・サミット」という展覧会がはじまったので、そういう意味では作家にとって刺激的な場であるし、評価されて続いているのではないのかと思います。

テープ起こし 原田真紀

スピーカープロフィール

五十嵐理奈(福岡アジア美術館 学芸員)
一橋大学大学院で文化人類学を学び、1999-2000年に刺繍布カンタの文化人類学的調査のため、バングラデシュの村に滞在。2001年に「ベンガルの刺繍カンタ」展(福岡アジア美術館)に携わった後、2003年より現職。これまでに調査し企画した展覧会は、バングラデシュの現代作家「二ルーファル・チャマン」(2007)、「魅せられて、インド。-日本のアーティスト/コレクターの眼」(2012)、「もっと自由に! ガンゴー・ヴィレッジと1980年代・ミャンマーの実験美術」(2012)など。現在、ミャンマーの美術作家のライフヒストリー調査に取り組んでいる。