Cabuaya

フィリピン海洋文化リサーチ・展示報告
山内光枝(美術家)

Gate 03 Surigao, Davo, Santa Cruz, Cabuaya, Manila

2016.08.06 @アトリエてらた

gate03_yamauchi_01

はじめに フィリピン大学での個展

山内光枝と申します。今回はフィリピンに3か月間滞在して、ミンダナオ島を中心に海洋文化のリサーチを行ってきました。三か月間本当にいろんなことを体験し、加藤君とは真逆でお見せする写真がとても多いので、足早に行きたいと思います。

© Terue Yamauchi

まず、今回のレジデンスプログラムとは別枠なのですが、去年ネグロス島で行った個展がきっかけで、マニラのフィリピン大学のギャラリーで個展をする機会をもらいました。個別には渡航費が出ないということで、レジデンス滞在に合わせての開催にしました。ミンダナオでのレジデンス開始前にマニラに数日滞在して立ち上げましたが、日程的にかなり厳しかった。さらに直前になって、個展を開催する大学のギャラリーを管轄している事務所が火事になり、使用する予定であった機材が調達できなくなったので、最終的に自分で手荷物で持っていける作品で展示を構成することとなりました。展示会場は、大学のメインライブラリーの地下にあるギャラリーです。2015年に北九州の千草ホテルで発表した『イルギ』というフォトダイアリーのシリーズを英訳したものと、これまで私が個人的に親交を深めてきた海人たちに描いてもらったドローイングのシリーズ、それに映像作品を発表しました。

© Terue Yamauchi

オープニング時のアーティストトークには、多くの学生たちとマニラを拠点にしているアーティストたちが参加してくれました。マニラでは、オープニングなどのイベントでは食べ物等ケータリングが重視されているようで、豪華なご馳走が用意され、全く予想していなかった盛大なオープニングとなりました。

マニラに到着した次の日一日かけて展示を立ち上げ、その翌日にオープニングとトーク。その明朝にマニラからミンダナオに移動しレジデンスを開始するというかなりタイトなスケジュールでした。

© Terue Yamauchi

このポスターの前にいる男性が今回のレジデンスを支援してもらっている国際交流基金のマニラ事務所所長の上杉さんという方。その隣が個展を開催しているフィリピン大学のギャラリーのキュレーター。さらにその隣のおばちゃんは、2015年に初めてフィリピンでリサーチをするためのきっかけをくれた海洋人類学者のシンシア・ザヤスさんです。私が最初に引き込まれた海女の世界と、フィリピンの海洋民族バジャオ族やビサヤ諸島の小規模漁撈との文化的な繋がりについて議論した彼女の論文を、偶然にも韓国の済州島で発見したことからのご縁です。

フィリピンでのリサーチに至った経緯

今私は、南が上、北が下にあるような感覚で、北から南へと、黒潮の流れを遡る様な視点を持っています。日本列島に最初に辿り着いたとされる人たち、縄文人や倭人と言われる人々が渡ってきた道を、逆トレースしているような方角です。2015年のフィリピン滞在の後、対馬に渡りました。そこで海女の世界の背後にある、さらに広大な、海人の、海の人たちの世界観へと辿り着きました。対馬に今も息づく、私たちの遠い先祖が南方の海の方から伝えたといわれる神話に辿りついたわけです。その世界観の基層、核にあるのが、自然の背後に流動し循環するエネルギーの流れです。それは、人間が飼いならすことのできない野生のエネルギー、宇宙を動かしているエネルギーの事だと思います。そのエネルギーの流れは多くの地域で蛇や龍の姿でイメージされ、海の民によっては「海神=わたつみ」、海の神様として祀られています。そのような遺跡や信仰が日本列島だけでなく、環太平洋の地域に残っています。

これは一例ですが、オーストラリア先住民のアボリジニのひとびとの描いた洞窟の壁画で「虹の蛇=Rainbow Serpent」と呼ばれる守神です。

これは出雲大社の「龍蛇さま」といわれる神様で、セグロウミヘビという実在する蛇です。神在月に八百万の神々が出雲に集うとき、海からやってくる神さまたちをこの龍蛇さまが大社の指定する場所までお連れするというガイドのような役割をされているそうです。

© Terue Yamauchi

2015年に引き続き、再度フィリピンに3か月滞在することにしたのはどうしてかというと、そもそもどうして自分がこんなにも海の営みや文化に惹かれるのかという核心の部分がやっぱり本当にはわかっていなくて、頭の中に疑問がたくさん残ったまま、前回の滞在の後も日本でのリサーチを続けていたのです。そんな時に、国際交流基金アジアセンターのフェローシップを見つけました。もう一度、南方からこの列島に伝わったとされる神話の源流ともいえる地域・海域に行き、神話の元素である世界そのものの現れを漂いながら、今を生きている同時代の海人たちの姿を見つめたい。神話の伝えるエネルギーの流れの中に身を浸し人間が生きている姿を、もう一度想像しなおしたいと思い、申請しました。

© Terue Yamauchi

アヨケ島での活動

2015年に引き続き、この3か月の滞在をコーディネートしてくれたのが、フィリピンのダバオを拠点にしている「The Unifiedfield Nomadic Artist-in-Residence Program in The Philippines」です。ノマディックという文字通り、特定の拠点をもたずに、様々な芸術分野のアーティストの実験的なプロジェクトを募り、その内容に沿ってその都度滞在やリサーチをコーディネートしてくれるという、今まで聞いたことのないようなユニークなプログラムです。主な運営メンバーは、スペイン人のパフォーマンス・アーティストのMartaと、ダバオ出身のAngelyの2人です。Martaが、事務的なペーパーワーク全般、滞在前の書類やメールのやり取りから会計、広報などを担当しています。Angelyは現場担当の実働部隊で、今回も、空港でのピックアップから始まり、三か月間の滞在を通して同行してくれました。彼女は、通訳兼、コーディネーター兼キュレーター兼料理人…といった、アーティストのお世話全般をこなしてくれます。

マニラからミンダナオ島にあるブトゥワンという都市に飛び、そこから陸路で5、6時間かけてカンティーランという港町へ移動します。カンティーランの船着き場からエンジン付のカヌーでさらに1時間太平洋を沖合へ進むと、アヨケという島にたどり着きます。

© Terue Yamauchi

これは、海から見たアヨケ島です。この角度で見ると、玄界灘の沖ノ島に似ています。
ここに1ヶ月間滞在しました。実はThe Unifiedfieldからの要請で、フィリピン国内で行った報告会では、この島の名前を伏せていました。フィリピンには7000以上の島がありますが、なかでもアヨケ島は、生活が機械化される前の暮らしというか、電気が通ってないのが大きな理由ですが、昔ながらの暮らしが営まれている貴重な場所です。同時に、有数のサーフスポットがあるということで、島の存在が周知されすぎると、多くのサーファーや外来者がやってきて、現在の暮らしや環境を壊してしまわない様にということでした。第二次世界大戦中は日本軍が軍事拠点として使っていて、今でも「旗があった場所」とか「大砲があった場所」といった意味の名前で呼ばれている場所が島には数カ所あります。現在はおよそ100世帯ほどが住んでいますが、大戦後移住してきた世代とその子孫たちです。

© Terue Yamauchi

ほとんどの人が海で漁をするか、ココナッツの油「コプラ」を作って最低限の収入を得、自給自足に近い暮らしをしています。漁につかう船も道具も、全て自分たちで手作りしています。漁といっても産業のように水揚げして収入を得ているのではなく、その日食べる魚を取って、一日一日食いつないでいく、そんな生活です。

© Terue Yamauchi

これは海藻を干している風景です。私がよく通っている宗像の鐘崎にも、有名な「わかめのカーテン」と呼ばれる風物詩がありますが、その風景によく似ていました。
漁のほかには、ココナッツの油「コプラ」を作ってだいたいみんな生計を立てている、その二つでなんとか最低限の収入を得ているという暮らしです。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

前回に続いて島での滞在でお世話になった家族です。集落の世話人的な存在で、私たちは「Auntie=おばちゃん」と呼んでいました。自宅の2階を借りて、テラスを作業スペースとして使いながら、それぞれの部屋に私とAngelyが一人ずつ寝泊まりしました。1階ダイニングは、家族に限らず近所の人たちも自由に集って談笑したりする場所でした。小さな島なので、コミュニティ全体がひとつの大きな家族のようでした。

本来の計画では、今年はアンチョビ(カタクチイワシ)漁に同行するという目標がありました。アンチョビ漁をしている船に、クジラが分け前をもらおうと寄ってくるという話しを、前回の滞在で聞いていたからです。漁師がアンチョビを独り占めしようとすると、クジラたちは船を攻撃したり衝突してきたりするのだそうです。ちゃんと魚を分け与えると、危害を加えないという。今年はそのアンチョビ漁の時期に合わせて滞在を計画したのですが、フィリピンでも気候変動が激しく、ラニーニャという雨季の影響で漁期が大幅にずれてしまい、アンチョビ漁には同行することはできませんでした。

© Terue Yamauchi

そのかわり、前回滞在したときには、筋金入りの海の男であるお父さんがサンゴ礁で足を怪我していて漁を休んでいたのですが、今回は彼の漁に同行する事ができました。ほぼ毎日、彼の息子たちと一緒に朝と夕方海に出て様々な表情の海で、いろんな手法の漁を営む姿を見つめる毎日を一ケ月間過ごしました。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

海は特に、毎回、その時々のコンディションや天候によって多くのことが流動的に変化する現場です。海に出て漁に同行する際、まず必要となるのは、船の大きさや構造、それから彼らの作業の内容や人の流れを出来るだけ早く身体で把握し、自分の居場所を見つけることです。彼らの作業の妨げになったり動きを止めない様に、撮影の角度なども考慮しながら、自分の居場所を探る。また、体を使って船の各部分の強度や、撮影の位置や体勢を探ります。この部分にはどれだけの体重を預けられるか、足の指だけでバランスをとれるか、などです。

© Terue Yamauchi

また、海の上でのこうした作業には、彼らとの信頼関係が大きく反映されます。だから、ホームステイをして同じ屋根の下で一緒に暮らすことも、食事をともにすることも、欠かせない要素なのです。海では、言葉のみに頼ったコミュニケーションよりも、身体の動きや視線の交わりなど、存在そのものでコミュニケーションすることが多いと感じます。一日一日過ごしながら関係を築き、より多くの姿や営みに立ち会わせてもらえるように心がけていました。

© Terue Yamauchi

夜の漁でAngelyが撮影のためにライトで照らしてくれたのですが、本人がすごく面白い姿になっていました。Angelyは撮影助手にもなってくれます。

ある日お父さんが、潮に流されそうになる船を、泳ぎながら人力で引っ張り、進む方角を維持している姿を見る事ができました。こんな姿が見れるなんて、想像した事もありませんでした。毎日同じ時間帯に海に出て同じ手法の漁をしても、一日として海の表情も人の姿も繰り返すことはない。常に変化しているから、いつも新しい。自分自身のコンディションに関しても同じだと実感させられたし、そこにいなければ出会えない、知りえないということを毎日思い知らされました。

これはある日、偶然にも重なったいくつもの条件のもとに現われた世界の一面です。ほとんど風がなく、鏡みたいに真っ平になった海面に、雲一つない上空から強烈な太陽光が降り注いでいました。そこに、たまたまこの日Tシャツを着ずに漁にでていたお父さんが、海中に入る手法の漁を営み、その素肌に、透明度の高い海水を通過した光が降り注いだのです。多くの条件が重なって、瞬間瞬間の世界が現れているのを毎日実感させられました。この日初めて、自分が写真や映像を撮る、takeするのではなくて、世界から、向こうから与えられている、giveされていて、与えられたものを受け取っているんだと思ったのです。自分の能力とか機材の性能によって何かを捉えているという感覚ではなく、こちらに投げかけられた、世界から与えられたものを受け取めるのが自分の役目なのではないかと、この時初めて感じました。

漁の後には、撮影した画像や動画を、島のみんなで一緒に見るという時間を大事にしていました。こういった人の集う場を持とうとするとき、また、何かの話を聞きたい時なども同じですが、こちらから事前に日時や場所をセットアップしても、誰も集まらない、何も起らない、話しがぎこちないんです。ここでの暮らしや生活のリズムは、時計の数字と針に沿っては流れていないからです。海を中心とした彼らの暮らしは、ほとんどが月の満ちかけだとか潮の満ち引きにデザインされている。だから、私のセットした日時や、私の持ち込んだリズムに合わせてもらおうとしても上手くいかない。彼らの暮らしのリズムを身体で学び、その流れに乗れなければ、タイミングは合わないのです。時おり島内で自然発生する人の集いを見つけては、その都度瞬時に動き、流れに上手く便乗し、混ざり込んでいきました。

© Terue Yamauchi

人の集う場を発生させる、時間と空間を共有する場をつくる姿勢においては、ワークショップを行うときも同じでした。The Unifiedfieldのプログラムでは、滞在先のコミュニティと関わるワークショップを行うことが条件としてあります。アヨケ島では今回、島の暮らしにも直結する海のプラスチック汚染に関するワークショップを行いました。素潜り漁を中心に海と人の姿を追ってきた私は、そこに太古からさほど変わらないであろう風景を垣間みていましたが、同時に、多くの現場で存在感を増すゴミの多さにも気づかされていました。現代人の暮らしが、海そのものの本質を変えようとしている、太古から続く海に育まれて来た人の営みが、自分たちの生活の代価として途絶えようとしている現実に目を向けずに海と人と向き合っているとは言えないという危機感がありました。また、アヨケ島が直面している増え続けるゴミ処理の問題も見えていたので、大人と若者とこどもという三段階のワークショップを数回にわけて開きました。というのは、彼らにはそれぞれの時間の流れがあるからです。例えば、大人たちが集りやすい時間、若者がフリーな時間が全然違うのです。ゆったりした時間の流れや人の集い始めたスポットを見つけたら、瞬時に素材を持ちこみ、何気ない会話から徐々に本題に話題を移行して、気づけばワークショップのような場になっている…という様な設け方です。何もない所にこちらの希望や都合で場を設定しても、結局何も起らないんです。こんなやり方で、数回に渡りワークショップを行いました。まずは私たちも含めて島の環境やゴミ処理についての現状を話し合い、そこから何ができるのかをそれぞれ考えてお互いに発表、提案をしました。一例として、それまで全く分別されずに放置されていたゴミを、再利用できるものとできないもの、土に戻る素材と戻らないものに分けて集めることから始めました。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

これは、若いお母さんたちが海辺の小屋に集まっておしゃべりしていたときのこと。そこに私とAngelyが加わっていくと、やがて子どもたちがワークショップのためにと、素材となるゴミをたくさん拾ってきてくれた。それから毎日滞在先の家に、集めたゴミを持ってきてくれるようになりました。それを素材として使って、子どもたちが楽しめる様に、分別作業をゲームにしたりしていました。他にも、捨てられたビニール袋を使って生活の様々な場面で活用できるロープを作ったり。これ、結構強度があるんですよ。アヨケ島はミンダナオ本島からも離れているので、物資を調達するにもわざわざ船を出さないといけない。商品代だけでなく、ガソリン代も時間もかかってしまう。そこで、これまでゴミとして捨てていた素材を使って、生活に必要な物や足りない物を、自分使用のものをそれぞれが作ってみようと、楽しみながらみなでヒントやアイデアを共有できた時間でした。

© Terue Yamauchi

また、ラニーニャの気候変動が原因で、海が荒れることが多く漁に出られない日が続くこともあったので、海沿いで拾ったゴミを使って、ワークショップに使うコマ撮りアニメーションを作りました。ゴミとなったプラスチックは、時間とともにどんどん小さく分解されて、マイクロプラスチックと呼ばれる目に見えない粒子になります。それが今、地球上の想像を絶する面積の海を覆い尽くしているという深刻な状況になっています。微粒子となったプラスチックを魚や動物がプランクトンと間違えて食べ、それが結局自分たちの食卓へ、体内へと戻ってきます。自ら捨てたものが、巡り巡って自分に還ってくるというサイクルを、自分に直結した現実としてどうやって子どもたちにわかりやすく伝えることができるかを考えながら作りました。

© Terue Yamauchi

島を出る直前に、店先で貝殻をお守りのように吊るしている家を見つけました。その家のおじさんに、海女さんもアワビなどの貝殻を魔除けにしている話をすると、家の奥から二つの貝を一緒に吊るしたものをもってきて、「これは君にあげるよ」と突然渡してくれたのです。この尖っている方の貝は、この地域に伝わる魔除けで、この刺で悪いものを追い払うのです。もう一つの貝は「トコブシ」といってアワビ貝の仲間です。特別な理由はないと言われましたが、私にとってはまるで海女の世界と南方の海の世界がリンクしたような組み合わせでした。まるで自分の中で個別に存在していた要素や世界がリンクするような、そう感じさせられるこのような出来事が滞在中にはたびたび起りました。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

蛇や龍の神話の話をお父さんに話すと、アヨケ島からさらに沖合に3時間ほどのインドネシアの国境のすぐ近くに、海蛇が住んでいる岩礁があると教えてくれました。1か月間、遠海のコンディションが、遠出するに適した状態になるのを待ちつづけた結果、なんと島を出る前日に行けることになりました。本来は海中にいる海蛇が昼間は岩場の陰や隙間で寝ているのです。本当にたくさんいました。アヨケ島の島民は戦後の移住者なので、蛇にまつわる古い伝承などを知る人はいませんでしたが、お父さんには、漁の時に遭遇した海蛇との体験談や、今でも残っている迷信的なことについて、蛇の住処を前に話しを聞くことができました。

© Terue Yamauchi

ダバオ市、バジャオ族居住地での滞在

アヨケ島での一カ月の滞在の後、ミンダナオで一番大きいダバオという都市に移動し、海洋民族のバジャオ族の居住地に10日間ほど滞在しました。このコミュニティは前回2015年のレジデンス時にも滞在しているところです。ここに暮らす人々はもともと、ミンダナオの左端にあるザンボアンガ周辺の海を拠点に暮らしていたのですが、海賊の襲撃や他の民族との対立などにより、多くがマニラやダバオ等の大都市に逃れ着いています。私の滞在したこのコミュニティの場合は、現地のカトリックの牧師さんが海上で漂流している家族を見つけて、定住するための土地を提供したことが始まりだったということです。本来バジャオ族は、船自体が家になっている家船で暮らす漂流の民だったのですが、海上の安全性の問題やフィリピン政府の政策などによって徐々に暮らしの現場が陸上に移行し、このコミュニティに関しては、たった一年の間にも生活の姿が大きく変化していました。

© Terue Yamauchi

この集落はダバオ湾に面していて、ちょうど大きな山が対岸に見えます。日本列島で活躍した海人の世界では、海から仰ぎ見る美しい三角錐の山が揃っているところに拠点を築いていたそうです。もしかしたら、バジャオの民がこの湾のこの場所に行き着いたことも、海の生活を営む上での共通する直感が働いたのからかもしれません。

© Terue Yamauchi

10日間でしたが、毎日漁に同行しました。ここでの漁は出発が早かったので、だいたい朝2時半には起きて準備をしていないと置いていかれる。早起きは苦手なのでつらいのですが、夜が明ける時刻に海に出ていると、毎回毎回、今まで見たことのないような光景が広がっていて、早起きをすると本当に得があると実感する毎日でした。ホームステイ先は、この土地に初めに移住したパイオニア的な一家です。カトリックの神父さんが彼らに土地を提供した時、もともとバジャオの人たちが持っているアニミズム的な信仰から、カトリックに改宗し、さらにこの家族のお父さんは、自らも神父となりました。

漁では、スピアフィッシングの名手でもあるお父さんを筆頭に、その息子や娘、おじいさん、奥さんや小さな子どもたちまで、毎回ことなる老若男女のメンバーとともに海に出ていました。

© Terue Yamauchi

これはスピアガンで漁をしているところです。このおじいちゃんがしている腕バンドは、今話題の新大統領ドゥテルテ氏の名前が入ったグッズで、どこにいてもみんなこれを腕につけていましたから撮るもの撮るもの、ドゥテルテ氏の宣伝のようになってしまいそうだった(笑)。この子は前回の滞在時はまだまだ幼い小さな子で、漁もできずに水のなかで遊んでいたのですが、たった1年でこんな成長して立派な若い漁師になっていました。毎日お父さんの漁に同行して、その様子を見ながら自分で勝手に覚えていくのですが、彼らの能力の上達の速さというか、自然と授けられた能力というものを、今回の漁では見せつけられました。これは彼のお父さんですが、彼らもアヨケ島と同じような網を使った引き網漁をしていました。漁に出ている人数や船の大きさによって、作業の仕方や行程を工夫しないといけない。限られた道具で多様な漁をしていくための、柔軟な想像力や巧みな創作力を持って居ました。

© Terue Yamauchi

前回の滞在時から気になっていた事ですが、そんな想像力や創作力は、彼らが子どものころから育まれたものだということです。子どもたちは、道に落ちている破片や廃材を使って、匠に遊び道具を手作り、完成すると私たちに見せに来てくれていました。そこで、このコミュニティで行うワークショップでは、この子どもたちを講師として迎え、彼らがよく作っている船の作り方を教わる場にしようと思いました。さらにコミュニティの外からも広く参加者を募り、コミュニティに足を運んで直接彼らと接する機会にしたいと思いました。ポスターを作り、フェイスブックなどを使って告知した結果、ダバオ市周辺から多くの人が参加してくれました。素材として使用した黒いシートは、ビーチサンダルのソールに使われている素材です。この時に作ったミニチュアのボートたちは、滞在の終盤、コミュニティ内のスペースで開催した展覧会で展示をしました。

このバジャオ族のコミュニティから、本来ならばミンダナオとマレーシアの国境沿いにあるタウィタウィ群島いうところに滞在する予定でしたが、この時この地域が日本の外務省の渡航安全マップで渡航中止勧告のレベル3になっているということで、日本を発つ5日前に、ここへの渡航は控える様にと連絡が入りました。実は一年前からレベル3だったので知っていたんです。アンジェリが実際に現地にいって私の滞在先をコーディネートしてくれていて、現地を知る彼女いわく大丈夫ということだったので進めていたのでした。このマップ上でより安全とされるレベル1になっているジェネラルサントスとダバオ以外は通るなという無理なことを言われましたが、途中で支援が打ち切られると困るので、急きょAngelyに滞在を調整してもらったのが、同じダバオ湾の対岸、南部の方にあるサンタクルズの別のバジャオ族のコミュニティです。そこは、すでに滞在したダバオ市内のコミュニティとは親族的な繋がりがある、さらに古い歴史のあるバジャオ族の移住地です。そういったコネクションがあったおかげで、突然のお願いでしたが、快く滞在を受け入れてくれました。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

干潮時に海側から見た集落の様子です。海岸線ギリギリのところまで高床式の家屋が建ち並んでいます。右側にあるのは、ビサヤ人と共学の地域の小学校です。私が寝泊まりさせてもらった家も、波打ち際に建っていました。夜の間に潮が満ちて、梯子を降りたところの地面に置いていた靴が波にさらわれ、朝起きると行方不明になっていることがありました。竹を並べて作った床には隙間があり、毎晩波音が轟音のように聞こえて、まるで海の中に住んでいるような家でした。

© Terue Yamauchi

ここにあったトイレが、今回の滞在で一番チャレンジングだったトイレなんですが、部屋の隅の方に四角く竹が切り取られて穴があいているだけのトイレ。周りの竹にひっかけないように用を足さないといけなくてですね(笑)。さらにこの部屋は、夜になると床一面にたくさんの人が横になって寝ているんです。そんななか、寝ている人の頭元で布でお尻をかくしながら(笑)。しかも、天然の水洗トイレなので、満潮時にしか用を足せない(笑)。慣れてくると、体の排泄のサイクルも潮の満ち引きのリズムに順応してきます。この環境で、いかに心地よく用を足すかというのを毎日真剣に研究しました。勢いよく出した方が、まっすぐ飛びます、コントロールしやすいことが分かりました。食事中の方には申訳ないんですが、大の方は、この穴でするのがどうしても上手くできなくて、夜まで我慢して、暗くなったらお尻を海側に突き出して、夜の漁をしている漁師さんたちに見られないように瞬時に済ませるということをしていました。

彼女はサンタクルズのバジャオコミュニティのリーダーをしている女性です。何が起こっても揺るがないような、カリスマ性ってこういうことを言うんだと会った瞬間に感じさせられた人です。彼女が突然やってきた私たちの家の手配などをしてくれました。バジャオ族のコミュニティでは、女性が実権を握っているというか、女性が中心となってコミュニティが動いている印象でした。まるで全体が一つの有機体のように呼応しながらみなが生活が営んでいるコミュニティの中心にいるお母さんのようでした。

© Terue Yamauchi

集落の船着き場、干潮時の様子です。一見同じように見えるボートですが、少しでも大きさや構造が違うと、一からその船や、そこでの人々の動きを把握しなおすことになる。私の存在は、完全に余計な人員、お邪魔な存在なので、その上で一体どこに空間を許されるか、どんな動きが可能かを見極めるという毎回とてもいい訓練になりました。また漁の流れや海のコンディションをみながら、どのタイミングまで船上に留まり、いつ水中に潜るべきかという判断も重要です。その場で柔軟に対応できないと、撮影のタイミングを失ったり、また彼らの作業の邪魔になってしまうことに繋がるのです。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

この時は3人の漁師とスピアフィッシングをしていました。一つ前に滞在したダバオ市内のコミュニティの対岸になりますが、都市部から離れているだけあってサンゴや魚の漁が多かった。魚は採ったすぐに口で咬んで息の根を止めて動かないようにします。こんな姿を見るのは初めてでした。自分の口に二匹の魚を加えたままさらに漁を続行します。もしくはこんなヒモに魚を通して運びます。これははえ縄漁の一種なんですが、この漁で初めて見ることができました。長いロープを母線に、短い針がついた子線をいっぱいつけて、そこに餌をつけて、大きいサイズの魚を狙います。この日も朝5時に出て午後3時に戻ったので一日中漁をして獲れたのはたった2匹。でも、大漁だ!って喜んでいました。食べていくのはほんとうに大変です。

© Terue Yamauchi

カブアヤでの活動

今回の滞在で最後に訪れたのが、ミンダナオの東の南端にある、太平洋に面したカブアヤという地域です。目の前には太平洋が広がり、背後には、フィリピンイーグルという絶滅危惧種のワシが生息する山がそびえています。ユネスコの遺産にも登録されているそうですが、近年は違法な木材の伐採が激しくて、私がいる間にも、違法な業者とそれを監視する側の衝突が殺人事件に発展したりしていて。僻地に近い田舎なんですが、豊かな資源があるところは、暮らしも豊かになりますが、人の欲が争いも絶やさないという。

© Terue Yamauchi

私たちが滞在したのは、太平洋の潮騒が常に鳴り響いている家でした。この集落に暮らすほとんどの人が、漁をするか、背後の山でココナッツ油を作って暮らしていますが、実は4つの民族が共存しています。海に出ている人たちの多くはマンダヤ族。山の方に暮らしているのはマヌーボウという民族。さらにビサヤ人と、イスラム教に改宗したもう一つの民族がいます。今回私が滞在した4つのコミュニティは、それぞれみんな違う言語を持っていましたが、ここに来て、一つのコミュニティ内でさらに4つの言語が混ざり合ってるという状況でした。方言や固有の言語を持つひとたちとの対話は、韓国の済州島に滞在していた時から、言語は違えど、デジャブ感のある体験です。結果的にどこにいっても、体や合図を駆使しながら、不思議と通じるようになっていったり。特に海という現場では、自然と言葉以前のコミュニケーションになっていくのです。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

このコミュニティも一体感があって、誰かが漁から戻ってきたら、一人では船を陸に上げられないので、そこに居合わせた人が必ず手を貸す。お互い様なのです。子どももお手伝いしながら、生活のなかから多くを学んでいます。船の持ち主は、手伝ってもらったお礼に、獲ってきた魚を皆に分けます。それがその日の家族のお昼や夜のおかずになる。
 10日間の滞在中、台風がきたりしましたが、太平洋での漁にも何度か同行することができました。特に手作りの色とりどりの疑似餌を使った漁が盛んで、他にもスピアフィッシングや、海女さんのように網を手に素潜りで貝を採取する人もいました。岸から数メートルの範囲内に美しい豊かなサンゴ礁が広がり、大きな魚もたくさん目にする、豊かな環境でした。

© Terue Yamauchi

© Terue Yamauchi

ダバオでの展示

その後再度ダバオ市に戻り、初めに滞在した市内のバジャオコミュニティの中のスペースを借りて展示をすることになりました。
もともとはダバオ市内のアートスペースを会場に使用する予定でしたが、なんと改装工事が進まず、屋根がない状態だと判明したのです。ホワイトキューブでやるより、せっかくの機会なので、バジャオコミュニティの中でやらせてもらおうと初めての試みとなりました。太平洋側のカブアヤから戻って5日間しかなかったので、作品の制作と展示の準備、会場の整備を急ピッチで進めました。バジャオ族に土地を提供した地元の神父さんも、電気工事を担当してくれて、コミュニティの大人から子どもまで、展示備品を作ったりペンキ塗りをしたりと、私たちが持ち込んだものに手をかしてくれながら、同時に、自分達のコミュニティで、何かよくわからないけど、新しいことが起っている、立ち上がろうとしているワクワク感というか、期待感を、日々、私達を含め、多くの人が共有していると感じれる現場でした。

© Terue Yamauchi

展覧会のタイトル『MAGBAHA-O』とは、バジャオ族が話す「サマ」という言葉で変化とか移り変わりという意味です。1年越しの滞在で私が感じた彼らの流動的な暮らしの変化、世代交代だとか、海から陸への移行などを示唆しています。展覧会のオープングには、本当に多くの人が押し寄せてくれました。こんなに人が来てくれたオープニングは初めてでした。コミュニティ以外からもいろんな人が訪れてくれました。コミュニティの人たちは、自分の知り合いが映ったら爆笑して、冷やかし半分で見ていました。映像作品は、生活のなかに音楽や音が溢れているバジャオ族の唄を軸に構成しています。おじいちゃんから始まって、いろんな世代の人が唄ういろんなタイプの歌に沿って、映像が展開します。映像のタイトル『Magbinowa』はサマ語で「あなたへの歌」というような意味なのですが、出演しているおじいちゃんが映像のなかで歌い始めると、映像を見ている子どもたちがみんなで唄い始めるという、予期せぬことが起きました。おじいちゃんが映像で唄っているのは、その場限りの即興の歌詞ですが、映像がループ再生され毎日流れているので、子どもたちはその歌を完全に覚えて、展示期間が終わってもコミュニティではおじいちゃんの歌を唄う子どもたちの声がどこからか聞こえ、おじいちゃんはとても喜んでくれました。

© Terue Yamauchi

滞在中のワークショップで作ったボートの展示です。5歳や6歳の子どもたちが自分で廃材を削って作っています。この展覧会は好評につき一日だけ延長することができ、最終日が私のミンダナオ滞在最後の日となったのですが、このとき新しくフィリピン政府の社会福祉開発庁長官に就任した女性が突然来てくれて、最後のお客さんとなりました。展示した作品は、被写体となった本人にそれぞれ寄贈し、映像作品とDVDプレーヤーやスピーカーなどの機材は、全てコミュニティに寄付しました。

マニラでのトーク

展示の搬出が終わった数時間後に、ダバオからマニラへと飛びました。
マニラでは、2人組の実験的なフィルムメーカー「Los Otros」と、同じくマニラにある「グリーンパパイヤアートプロジェクト(Green Papaya Art Project)」の共同主催で、私とAngelyのトークを行いました。当日は、たくさんの人が来てくれたのですが、マニラは、アートコミュニティ間の繋がりがちゃんとあって、お互いのサポートがしっかりとしているという印象を受けました。みんなお互いのイベントにちゃんと顔を出して、交流の場づくりをサポートしている。

カブアヤで男の子がくれたドローイング

© Terue Yamauchi

最後にお見せするのは、滞在したカブアヤというところで、別れ際に男の子がくれたドローイングです。この絵を見たとき、本当にビックリしました。なぜかというと、以前、出雲大社の博物館で見た、現存する最古ともされていた日本図にとてもよく似ているからです。蛇が島々を取り囲んで守っているのだそうです。

© Terue Yamauchi

さらに、これはオーストラリア先住民のアボリジニの壁画です。
こちらも、守り神とされる大蛇が、彼らを守っているように描かれています。カブアヤの男の子本人は、なぜこんな絵を描いたのかわからないと言っていましたが、このイメージの重なりに驚きました。特にこの3か月、このように、様々な異なる要素が、時間や空間を越えて繋がっていくように感じる瞬間が多々ありました。昔から人間は海の広さや深さに、自分の心を開放してきたのではないかと思います。それは世代を超えて、媒体となる体を変えて、遺伝子が記憶を伝えて、繰り返し体験されているものだと思います。海や海に生きるものが体現しているのは、常に循環し流動する世界の本質そのものだと思います。もともと私たちは、単一の原理で動いている世界にいるのではなく、いろんな雑多なものが寄せ集まって常に循環している、流動しているなかに生きているのだと思います。私たち一人一人が自分の内に持っている海を呼び覚ますような表現に、これから近づいていきたいと思います。


質疑応答

A:最後の人がいた街カブアヤ?漁師さんがスピアガンで漁をやっていた、その足ヒレって木なんですか。

山内:木ですね。持って来ればよかった。


A:あれいいっすね。軽いんじゃ。

山内:シートベルトのベルトで足を固定するストラップを作っています。マリンウッドって言ってましたけどバルサみたいに軽い木で、おそらく何らかの加工がされて、水につけても腐りにくいらしいです。すごい軽いんです。


A:海に木がつかると腐らないで締まるじゃないですか。パルプ化するけどパルプ化しずらい?


山内:6年くらい使っていると言ってました。おそらく海水に強くなるような加工がされています。私が使っているやつはプラスチック製で細長いんですけれど、あの足ヒレは野球のベースみたいに幅が太いんです。その形状のほうが海中で方向転換しやすい。あとベースの先が尖っています。海底に立ったとき、サンゴを傷つけないように尖った先っぽだけで立つためですね。それぞれみんな自分で道具をカスタマイズしているので、自分の足の大きさや形、癖なんかに合わせて手を加えています。

A:木だから加工しやすいですよね。あれいいっすね。材料はなんなのかなって。


山内:バジャオ族は雨どいのパイプなんかで使われているPBCを火であぶって平らな板状にして、ベースの形にカットして作っていました。ストラップにゴムを貼付けたりして。


A:廃材加工して自分たちでつくって。

B:山内さんの作品は宗像から始まったんですかね。そこから済州島に行ってフィリピンまで行って、それぞれ小さな船に乗って一緒に漁に出るんですよね。さっきお話でいわれたけど、どのタイミングで自分が撮影するか、どの位置に座ればいいとかなかなか分からない部分もあるかもしれないけれど、それっていろんな場所で体験しながら自分の中で感覚として分かってくることってあるんですか。最初は分からなかったかもしれないけど、このタイミングとか。

山内:まず、漁に同行するという了承は得ているので、初めはここに居てねという場所が与えられるんですけど、ずっとそこにいたら、その1点からしか見れないわけです。作業自体はもちろん私の位置なんて関係なく進んで行くので。そこから先は、普段からの信頼関係や、その場の雰囲気を見ながら、どこまで出しゃばっていいかを見極めるというか。いちかばちか、何も聞かずに動いてみたり。邪魔だからどいてっていわれる時もあるし、そのままにしてくれたり、わざと近くで作業してくれたり。それは、目の前で発生している世界に、自分がどこまで手を出すかっていうバランスともすごく似ているなあと思うんですよね。やっぱり、自分が何かを引き起こしたいという時もあるし、その営みをただ見届けたいという時もある。両方の兼ね合いというか、その現場現場で変わります。人間関係が一番大きいかな。それから、私がしていることを、どう受け止めてくれているかなども大きいですね。

B:滞在の期間が短い場合は、なかなか最初人間関係を築くのは難しいのでは。


山内:関係性を築く上で一番大きいのは、彼らと一緒に海に潜るということです。潜水は重労働なので、その肉体的、精神的体験を分かち合っている仲間感というのがわりと生まれるんですよね。もちろんカメラもって撮影したりしているんですけれども、手が空いたら彼らが獲った魚を持ったり、半分アシスタント的なこともしたりして。何度か海に一緒に出ているうちに、彼らの作業の輪のなかに私を入れてくれようになる。それは済州島でも同じでした。特に最初はほとんど言葉も通じなかったんですけれど、だんだんと私に手伝いを申し付けてくれたりとか、そういう関係性ができていく過程の感覚がすごく似ているなあと思って。やっぱり体の関係じゃないですけど、船上と海の間にある境界線を突き抜けて海に入ったとき、「え、君も潜るの?」というあの瞬間に、何かがぐっと近づくのを感じるのです。

C:今日は加藤さんがタイで神聖さの話をして、山内さんが海での神話とか同じような話で。一番気に入ったのが写真を撮るときに、takeじゃなくてgiveだというところです。こういう感覚ってあるんだなあって思ったところです。

D:あのカメラって海中は広角レンズかなんかで撮っているんですか。

山内:水中撮影はGoProというアクションカメラです。船上ではまた別のカメラを使っています。

D:20ミリ以上の広角がすごいいっぱいあって。何種類かあるの?


山内:2種類ですね。

D:前の質問にもちょっと関係あるんですけれども、なんかあの、最初と最後に言われた単一の原理で雑多なものがまざりあって融合した世界とか、そういう感じが実はあまり見えてこなくて。今日見せてもらったら写真がきれいだったなっていうのが圧倒的で。Takeですよ、慣れてないと撮れないですよ。誰でも撮れる写真じゃないですよ。その世界とコンセプトがどうもうまく結びつかなくて。例えば最後にロスオトロスとか、グリーンパパイヤとかはね、すごく老舗の世界に知られたアートスペースですけど、マニラの、ケソン?かな。マニラのど真ん中の大都会のアートスペースで話をしたときに、山内さんみたいな外国人がまあそういう田舎の村に行って、どういう風にマニラの人は反応したのかなって。すごい日本に来た西洋人がなんか全く現代の都会を無視してすごく田舎に行って、そんな感じのエキゾチックな、オリエンタルな感じに見えたんじゃないかなと心配があって、それが今のここにいる私たちにどういうメッセージがあるのか、全然見えてこない。写真は綺麗だったけど、何かメッセージがあったら教えてください。

山内:今回トークで見せている写真は素材で、自分が取り組んでいくもの自体は今回は見せていないです。取り組みはじめた素材を今こうやって公の場に見せてお話しするよりも、自分の中でももう少し定まってからお見せしようと思うので、今回はあくまで3か月の滞在がどうだったとか、場所がどうだったかとかそういうことを見せるための写真を選んでいるんです。なので作品に関しては口だけで話しているような感じになってしまっているんですが、ちょっとその辺のジャッジは作品を見てから。

E:だって帰ってきたばっかりだからねぇ。

D:最終的に作品にしなきゃいけないでしょ。そこに行くまでの道がみえない。

山内:そうですね、自分では結構見えているんですよ(笑)。頑張りたいなと思っているんですけれども。すみません、恐らくプレゼンテーションが下手すぎてそうなってしまっているんですけど、もちろん滞在と制作が全く分かれているわけではないので、そういう要素が本当は見えなきゃいけないんですが。マニラの人たちの反応は、うーん。私がすごくアジアに目を向けているのが嬉しい、そこばっかり言われました。特に外国人がエキゾチックさを求めて秘境に行って、という、そこまで特殊な田舎の民族って感じでもないんですよね。サーフパンツ着てますし。昔の格好のままで漁をしているわけでもないし、ボートにはエンジンついていたりとか。あくまで今暮らしている形そのままでとらえて、今この同時代の同じ時を生きている人たちの姿としてとらえたいと思っています。

D:もちろんそれはわかるんだけど。

A:なんか僕思ったのは、海から行ってるじゃないですか。日本だとかフィリピンだとか、海のつながりで、しかも韓国だってチェジュだし、海洋民族とか環太平洋とかさっき言ってたしキーワード。最初と最後締めくくったのが蛇だし、蛇とは龍神だしで、雷の神様でもあるけど龍神さまってのは出雲やあと象徴的な全世界各地にあった蛇をモチーフにした守り神としているんですよね。感覚的にそういうところでつながって行ってんのかなと思った感じです、個人的には。ちょっと言い方はざっくりしていますけど、海の道とか潮の道とか、導かれていったのかなと想像では。


山内:もちろんそれを手がかりに進んでいっているわけですが、最終的にたどり着きたいのは、海で生きている人たちだけの世界ではなくて、私たちも含めた人と世界の関係というのを、提示したいと思っています。海人世界といっていますけど、海だけじゃなくて、出雲の神話の話しをしましたが、列島のいろんなところに形を変えて残っている。自分たちが生きている世界と人間の関係を、とてつもなく大きな構図のなかで捉えてみようと。作品がまだ存在していないのに、言葉だけで一人歩きさせているようですが。

F:だいたいこの会のコンセプトは報告であって、作品見せる場ではないからこういう活動してきましたというお話を聴いてきましたから、それはそれでいいんじゃないかと私は思います。


山内:もっとそういうのが想像できるように…


F:想像十分できました。


D:僕はできなかったから。ロマンティシズムに陥っていると思うんですよ。現代社会との関係がないロマンティシズムに陥っている、それは危険。

山内:はい、その危険性は、はい。


D:だからマニラでのことを聞いたんです。

山内:この体験が、パラレルワールドにならないようにというのは日々意識して過ごしていました。自分だけが体験できた特殊なもので終わってはいけないので、なぜ自分が実際そこに行って体験したのかということを、自分が実際に体験をしたうえで、さらに想像するということです。実体がなくただ想像するのとは違う。今生きている生身の自分が媒体となって。例えば、太平洋で船の上にいるときに、天神の地下街を歩いているリアリティをどこまで感じられるかとか、そういうこと、常に意識していました。ご指摘のあった危険性は重々承知しているつもりですが。

G:村に戻ってきた若者の話しがあったじゃないですか。前のトークの時も街に出戻ってきて漁の手伝いをしている人がいましたよね。漁は受け継いでやっているけれども、ずっとそれが続くわけじゃないですか。いったん街に出て仕事して戻ってきた人たちといろんな話をしたのかなって。

山内:本当は村に残って漁を続けたいけど、魚の数が減って、段々獲れなくなっています。フィリピンだけの問題じゃなくて、世界中で同じ事が起っている。漁だけでは生計がたてていかれない。さらにこういう田舎の村って小学校までしかないから、中学校や高校で進学のために地元を離れて街に出たりするんです。しばらくそこで暮らすけど、やっぱり故郷の暮らしが忘れられなかったりとか、なんとか地元で仕事を見つけられた場合は、戻ってきます。

G:マニラで展覧会やったときも、マニラじゃない人も多い?


山内:そうですね。グリーンパパイヤってスペースがでましたけど、2020年に閉めるそうなです。なぜかというと、運営している2人のメンバーのうち一人が、自分の出身の島に戻るからなんです。故郷の島のアトリエで集中して制作するからと。ダバオはですね、ダバオからマニラに行く、というのは、地方から東京に行く、というのと似ているところがあって。マニラに行ったけどやっぱりダバオに戻って来ている人が、結構いっぱいいましたね。

A:マニラからダバオに来ている人もいる?


山内:もともとマニラ出身の人?いまちょっと流れが変わって、徐々に来始めているらしいですけど。ダバオって大都市なんですけど緑豊かで。もともと、ギャングとかいっぱいいて荒れた街だったそうですが、ダバオ市長をしていた現大統領のおかげで平和になったらしいです。それからダバオに、マニラからの移住者が来るようになったと。ミンダナオ島の西側にはイスラム教徒の自治区があって、長い間政府との衝突などが続いていたりすることもあって、マニラのあるルソン島などの人は、ミンダナオ全体が危険地帯という先入観があると感じました。文化的なことにしてもマニラが中心なので、ミンダナオの現状はなかなか発信されない、伝わらない、だからなおさら偏見が生まれるという声を多く聞きました。ミンダナオにいると、マニラ中心のフィリピン像というものを強く感じました。

テープ起こし 原田真紀

スピーカープロフィール

山内光枝(美術家)
1982年福岡県生まれ。2003年キングストン大学(英国)ファウンデーションコース修了、2006年ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ(英国)BAファインアート卒業。2013年チェジュ・ハンスプル海女学校(済州島)卒業。2015年 文化庁新進芸術家海外研修員。2016年 国際交流基金アジアセンター、アジア・フェローシップ受託で、フィリピンにてリサーチ・展覧会を行う。
近年の展覧会に、2013年「Landings, The World Turned Inside Out」ヴィッテ・デ・ウィット現代美術センター ロッテルダム(オランダ)、2014年「想像しなおし」福岡市美術館、2015年「対馬アートファンタジア」対馬市内各所(長崎)、2015-16年 個展「Human Seascape | 海の目」シリマン大学ギャラリー、フィリピン大学ブルワガンギャラリー(フィリピン)、2015年「Local Prospects | 海をめぐるあいだ」三菱地所アルティアム(福岡)などがある。
http://terueyamauchi.blogspot.jp/